目だけアトピー?眼瞼炎?壮絶闘病記

原因不明と医者に見放され、ようやく知った本当のこと。
それは、銀歯と電磁波、そして薬害でした。あくまで私の体験です。

人から言われる言葉あれこれ

2019年03月01日 14時09分23秒 | 他人の意見
この症状を発症して人から色々なことを言われます。
それは、よかれと思って言ってくれてはいるのだとは思いますが、でも、それを言われると正直イラっとする言葉もあります。
それから、意外とそれを言ってくれると嬉しいという言葉もあります。
 
今日はそれらをまとめてみたいと思います。
 
どれが1番とか2番とか順位はつけられないので、ランキング形式にはしません。
思いついた順にランダムに書いていきます。
 
 
まず、言われるとイラっとする言葉から
 
・医者行け!
 
・やっぱりそれは病院行かないとダメだよ。
 
よかれと思って言ってくれてるのはわかります。
が、何度も言ってるようにこれは薬害ですから、医者には治せません。
しかも、医者にはもうとっくに何軒も行きましたし、とっくに「わかりませんね。」と言われてサジを投げられています。
ステロイドが効かないなら、もうこれ以上どうしようもないと言われています。
 
これらのことをもう何度も言ってるのに、いったい何回言えば理解するのでしょうか。
 
 
 
・そんなのたいしたことないよ。世の中にはもっとひどい人もいるよ。

これは2種類あって、
 
一つは、本当はひどいのを承知だけれども私を慰めるために、元気づける為に言ってくれている場合。
 例えば、末期がんで余命幾ばくもない人に、「大丈夫!こんなの絶対治るから!」と言うような場合と似ている。
 
 
もう一つは、私が苦痛を訴えていることは全部うそ、もしくは大げさに言っているだけと思って、本当にたいしたことないと思って言っている場合。
 
 
この2種類があると思いますが、いづれにしても、私本人がとてつもない地獄の苦痛を感じているのだから、その苦痛を共感してもらえないのはしょうがないけど、ウソも言ってないし、大げさにも言ってないのだから、せめて信じてほしい。
 
大したことないとかいうなら、「おまえがなってみろー!」と思っていまいます。大したことないんだったら、「じゃぁ、代わってくださいよ。」と思ってしまう。
 
もっとひどい人もいるとか、そんな、人と比べても何の意味もない。何の慰めにもならない。
 
 
例えば、じゃぁ、通り魔に襲われて腕に刃物を刺されて「うわー!」と流血してる人に、「腕だけだから大丈夫。おなかを刺された人に比べたらいいでしょ?」と言えるのか?
 
まさに今、車にひかれて「痛い~!」と苦しんで救助を待っている人に「ガンでもっと苦しんでる人もいるんだよ。」という言葉が役に立つでしょうか。
 
確かに、全身アトピーの人よりは、範囲は少ないから、良いように見えるかもしれないけどれも、目の場合は、外からは見えない眼球の奥の方や、頭の中、耳の奥のほうまで苦痛を感じているのだから、見えるところだけで判断しないでほしい。
 
だったら、例えば、内臓の疾患の場合は外から見えない。例えば、「子宮筋腫」で苦しいんでいる人に対し、「え?なんともなってないですよ。全然見た目わかんないですよ。大丈夫じゃないですか?」って言っているのと変わらないと思う。
 
 
 
・そんなことないでしょ。嘘でしょ?
・またまた、ウソばっかり!
 
これは、「医者行け」のところをかぶるが、私の言うことをすべて否定する人。
 
ステロイドや目薬の副作用だと、どんだけ説明しても、「そんなことないでしょ。」
「嘘でしょ。」と、まったく聞く耳を持たない。その人達は、ほんの1分すらも何も調べたことすらなくて言っているが、私はもうそれこそ、何百時間、何千時間もさまざまな方面から徹底的に調べたのである。
 
そもそも、私が普段から虚言癖があるというならともかく、私とつきあいの長い人は私が嘘をつくような人かどうかわかってるはず。私は普段、冗談も言えないような、とにかく嘘つけない人間なんです。お世辞とかもあんまり言えません。人を騙すようなことは言ったことないのです。
 
なのに、なんで、こんなおかしなことを言って人を騙さなければならないんでしょうか。騙すんだったら、もっと他のこと考えますよ、どうせなら。
 
目から汁がドラム缶2本分ぐらい出て止まらないんです。痛くて痒くて・・・って
 
目をこんだけ腫らして、こんなに長きに渡って、なんの利益があって、そんなウソをつくと思いますか。
こんなブッサイクな顔になってまで嘘を言って何のメリットかあるんですかって。
 
確かに信じられないかもしれないけど、初めてこの話を聞いた時だけは「嘘でしょ。」と言ってもいいけど何度も言ってたらさすがに、信じてほしい。ずっと「嘘だ、嘘だ。」ってなんなの?
 
 
・触らない方がいいよ。 

これも、よく言われます。もちろんよかれと思って言ってくれているとは思います。
しかし、触らないわけにいかないのですよ。だって、とにかくずっと目や目の周りの皮膚からものすごいかゆい汁が溢れてくるんです。拭かないわけにはいかない。
それに拭かないと前が見えないんです。大雨の時にワイパー動かさないで車運転するようなもんです。
 
また、汁が止まって出ない時もありますが、その時は皮膚下にチャプチャプ溜まってるのがわかるほどで、皮膚がパンパンに張って激痛なのです。そんな時にティッシュ越しに目の周りの皮膚をグイグイ押すと、その刺激でジュワーと出て来て痛みが和らぐのです。それが為に触っています。(ティッシュ越しにですが。)
それが、もう1日中続くわけです。だから、休みの日なんかは、もうこれを↑2時間でも5時間でもずーっとやってるわけです。この1年8か月。
自分でもイヤになるけど、しょうがないんですよ。
少しでもラクになる為にやってるんだから。
 
「触らない方がいいいよ。」と言われても、触らないことによるメリットが何一つありません。ただ苦しみが増すだけなのです。
 
・気にしてるからそうなるんだよ。もっと他に意識を向けて、趣味とか他のことに目を向けて見れば?そしたらきっと忘れちゃうかもよ。

これはもう、かなりトンチンカンな意見。断じて気にしてるからじゃねーわ!!!(←近藤春菜風に。)

 
★★★★★
 
 
 
そして、逆に、これを言われるとうれしい言葉がこちら。
 
意外に思われるでしょうが、
 
・かわいそう。大丈夫?
・あぁ、それはひどいねぇ。

・大変だねぇ、つらいねぇ。
 
 
これが、私としては一番うれしいです。もちろん、バカにして中傷して言うのではなく、本当に憐れんで言ってくれる人の言い方のことです。
この言葉は多くの病人は言われたくないらしいですよね。病人扱いして欲しくないという方も多いと聞きます。
 
同情されたくないと言う人もいますよね。
 
 
でも、私の場合は、ああ、やっとわかってくれたか、と思って嬉しくなるというか、ようやくちょっと救われる感があります。
 
なにせ「そんなはずはない。」「嘘言ってる」「大げさに言っている。」「そんな人は見たことない。ありえない。」などと否定的な言葉だらけの中で、たった一人で頑張って苦痛に耐えている中だと、やっとわかってくれたという気持ちになります。
私のことを信じてくれたんだなぁと思えます。
 
ふつう、医者が知ってる病気で入院もしくは自宅療養している場合だと、いちいち本人が苦痛を訴えなくても病院にかかっているってことは重症なんだなと誰もが理解します。黙ってても、誰もがいたわってくれるでしょう。まさか嘘言ってるとは言わないでしょうね。だから、わかってくれてるから、いちいち、「痛い」「苦しい」と声に出して言わなくても通じます。それに、寝ていても怒られない。堂々と仕事を休んでよい。誰もとがめない。
 
亡くなってしまっても、「この人は闘病中、決して痛いとか弱音を吐かなかったんだ。本当に強かったんだ。頑張ったね。」と死後、周囲の方から褒めて語られることがあります。
 
もちろん、本当に強かったのだと思いますし、その人を褒めたいと思いますが、やはり、それは言わなくてもわかるからというのもあると思います。
 
私の場合は、まったく誰一人として理解してくれる人がいませんので、たとえ道端で倒れていてもウソだと思われるのです。
 
実際、スーパーで買い物をしている時に、いきなり発作的に猛烈な痒みと痛みが来て、汁が滝のように出ることもあります。
 
もうその場に立ち止まり、ティッシュで汁を拭きまくりますが、知らない人から見たら、「あの人、何泣いてんの?おかしくね?ヤバイ人?」ぐらいにしか思われないでしょう。
 
誰も助けてくれません。
仕事に行けなくなっても、「甘えている」と捉えられてしまいます。
 
目が化け物のように腫れて、膿や汁を垂れ流していても、
 
「医者に行かないお前が悪いのだ。」
 
と言われ、誰にも理解してもらえないのです。医者に行けば行ったで、「わかりませんね。こんなの見たことない。他行ってください。」とみてもらえない。
 
どうしろって言うんですか。
 
広いサハラ砂漠でたった一人、喉の渇きで苦しみながら、灼熱地獄の中、フラフさまよっているような気分になります。
 
ふと、上を見上げると青空の中で、サンサンと笑っている太陽さえが恐ろしくも見えます。太陽さん、そんな笑ってないで、助けてよ!
 
喉の渇きを訴えて、「水をください。」と手を伸ばすも、
 
「ふふふ、お水欲しい?どうしよっかなぁ~。あげなーい!ふふふ!あはははは!」
 
と私が苦しむ顔を見ながら、おいしそうに自分だけ水を飲む意地悪な悪魔の幻。
 
そんなシーンが脳裏をよぎります。
 
 
死ぬことは怖くないけど、そこまでに行くまでに味わう苦痛が耐えがたいのです。
 
だから、つらいという言葉を信じてほしいのです。
 
仕事はできるだけ休まないようにしているけど、どうしてもひどい時には休ませてもらうこともあります。これは、ほんと、もう、どうしても、痛すぎて動けなくなるんです。
 
人が普通にできることが出来なくなってしまうのです。
 
本当は私だって弱音を吐きたくないけど、この苦痛を言葉にして言わないと「ずる休み」と思われてしまうんです。
 
 
「医者に行かないということは大したことがないと言うことだ。本当にひどいなら、医者に行くはず。なのに、いつまでもずっとグチグチ言ってて(もう2年近いので)いい加減ににしろよ。」と思われます。というか、言われます。
 
 
なまけようとしている、遊びほうけてる、とか思われたくないから、しかたなく、言葉にして言っています。
 
もし、私だって「メジャー」な病気で入院でもして毎日堂々と寝ていることができれば、あえて、「痛い」だのなんだの苦痛は口にしないかもしれません。
 
そして、亡き後、「あの人は闘病中、一言も弱音を吐かなかったね。」とほめ称えられるのかもしれません。
 
 
 
 


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