寒い冬には部屋飼いの猫たちは、どのように寝ているのか…とても気になります。
我が家の八割れ猫のウニは、11月ごろから私の布団に入ってくるようになりました。昨年は暖かい日が多かったので、そんな日は寝室の窓辺にあるウニのお気に入りスポット(コロネ型のクッションの上)で寝ています。
シッポナはリビングのソファーに置いてある膝掛けの上に寝るのが今期のお気に入りらしく、10度を下回る寒い日もひざ掛けの上で寝ていたり、たまにソイが愛用しているクマのプーのハウスの上に乗っかって寝ていたりします。が、5度以下になると流石に寒いらしく「ウニャ~、ウニャ~」と夜中に文句を言いながら布団の中に入ってきます。そっと体を触るとひんやりと冷え切っていて、「早く来ればいいのに」と思ってしまいます。
シッポナのこんな行動を私たち家族は「野良猫体験」と呼んでいますが、野良猫は風の吹きすさぶ寒い中、体を丸めて一夜過ごしているのでしょう。車の下や駐車場の中、仲間が身体を寄せ合っているかもしれません。
そんな野良猫を想像すると…なんとゆる~いシッポナの「野良猫体験」なのかとクスッと笑ってしまいます。
「シッポナは野良猫にはなれないね」と家族は思っています。でも、そんなシッポナが愛おしくて野良猫体験を成功させた朝を見るのが私の楽しみの一つになりました。
そして、シッポナの「野良猫体験」から私たちの地上人生に起きる様々な出来事や体験に思いを馳せました。
嬉しかったこと、楽しかったこと、衝撃的だったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと…そんな思い出の中で心に重く刻まれている体験は苦しみや悲しみであると私は思っています。
身内の死や病気はもちろんですが、日常の些細な出来事もです。
若いころに北海道旅行をした際、泊まったペンションの悲惨さとか学生時代に親を悲しませて心が痛んだこと、家族旅行で必ず息子が熱をだしたこと、訪問販売にやってきた高い学習問題集を買って後悔したこと等々、思い出すのは苦い体験ばかりです。
こうして心に残る思い出や響いた出来事を考えると、その体験がもたらす魂への影響力の強さによって違ってくるのだろうと思いました。
霊的知識がなければ苦しい出来事や辛いことが起きれば「どうして起きたのだろうか?」「何が悪かったのか?」と疑問がわき、「なんで自分なんだ」「○○のせいだ」と不満が噴出します。真理を知る以前の自分がまさにその通りであったと思います。
でも今は苦しいことや辛いこと、悲しい出来事が起きると…地上だけではなく永遠に視点を広げて自分の霊的進化にとって必要なことが起きていると納得ができ、また原因があって結果があるという因果律は間違いがないのだから、今起きていることも何かしら原因があってのことだと誰かのせいでも世間の仕組みのせいでもないと心を治めることもできます。
すべてが自己責任なのです。
しかし神の完璧な摂理の中で生きているのだから、最終的に全てが良きに計らわれるのだとも思えます。(*2)
むしろ成長のチャンスなんだと奮起する気持ちへと変わります。
なんとしても苦難を喜びに変えようと強い気持ちが芽生えてくるのです。
それは苦しみや悲しみが霊を目覚めさせる触媒としてあるからです。私たちが肉体だけの存在ではなく霊的存在であるからなのです。
霊的存在だから苦しみや悲しみという体験に遭遇したときに、霊という本当の自分に衝撃を与え、善なる方向へ進むように摂理が働くのだと思います。
なんと素晴らしい摂理の仕組みであるのかと思いますし、その完璧性を心から信頼しどんなことも魂を輝かせるためのチャンスと捉えていきたいと思います。
シルバーバーチの言葉です。(*1)
「はがねは火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務に忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです」 シルバーバーチの霊訓1
一方で、衝撃といえば自然の美の見事さにも心を奪われ、その時の光景が今もありありと浮かんできます。
釧路湿原の壮大さや神秘さに感動したことや何もない山間で感じた木々の香りにうっとりしたこと(芳香剤と同じ香りに心底驚きました)、山を登りきった所にある天然温泉で心身が癒されたこと、透き通るような美しい海に魅せられたこと…自然の美しさに心が引き込まれたことも思い出として心に強く残っています。
それは全ての根源に神が君臨しているからです。
壮大な湿原も木々が放つ香りも、湧き出る温泉も美しい海も…人間も動物も植物も鉱物も微生物も、この全大宇宙の全てを創造し法則によって規制し秩序を保っている…全て神の御業によって存在し霊力によって支えられているのですし、自分自身が神によって生命を与えられた存在です。
そこには神を中心とした繋がり、霊のつながりあるからこそ大自然の醸し出す絶妙さや美しさ豊かさ、素晴らしさに感動し心の奥底に刻まれるのだろうと私は思います。
霊的につながっているからこそ人間は、自然美の中に神という存在を知らずと知らざると感じとり、その壮大な営みに感動が噴出してくるのだろうと思います。(*2)
これからも神との霊的なつながりの中で生き、少しでも神の御心を理解できたらと思います。
シルバーバーチの言葉です。(*1)
「私だったら大自然の仕組みの見事な芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドの如き夜空の星の数々に目を向けさせます。太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。あたかも囁きかけるようなそよ風と、そしてそれを受けて揺れる松の林に目を向けさせます。さらさらと流れるせせなぎと、怒涛の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの動きが確固とした目的をもち、法則によって支配されていることを指摘いたします。そして更に人間がこれまで自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって支配され規制されていること、その全体に、人間の想像を絶した広大にして入り組んだ、それでいて調和した一つのパターンがあること、全大宇宙のすみずみに至るまで秩序が行き亘っており、惑星も昆虫も嵐もそよ風も、その他ありとあらゆる生命活動が―いかに現象が複雑を極めていても―その秩序によって経綸されていることを説いて聞かせます。
そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している奇な力、それを神と呼ぶのだと結びます」
シルバーバーチの霊訓3
シッポナの野良猫体験からこんなことを考えました。
絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンの10のどうして?」 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です。
「コトとシンの10のどうして?」 には、地上人生で遭遇する「どうして?」と思うことについてをテーマに描かれています。様々な体験がなぜ地上人生には必要なのか?そんな疑問のヒントが隠されている絵本です。
「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には、神という存在についてや神の叡智の素晴らしさが可愛い絵と分かりやすい文章で描かれています。
絵本は英語版、中国版もあります。ご興味のある方はぜひ「あいのしんこと舎」のホームページへ足を運んでみてください。
また、読み聞かせ動画の「あいのしんこと舎チャンネル 」からは、コトとシンシリーズの全巻を見ることができます。心に響く語りと可愛い絵とバック音楽(オリジナル曲)が心を和ませてくれます。
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