コミドリコンゴウインコのナッツは、約7年前に夫の肩に乗ってベランダに出た際に、どこかで聞こえた大きな音に驚き屋外へと飛び去ってしまいました。
慌てておやつのナッツ(アーモンド)を手に飛んで行った方向に探しに向かったのですが、どこへ行ったか分かるはずもなく…「ナッツー、ナッツ―」と叫ぶ声が空しく響いたのを今も思い出します。
小型のセキセイインコでさえ逃げたときの飛行距離は10Kから20Kと言われますから、中型で羽も切っていないナッツが驚いて飛んでいったのなら、まず見つけるのは至難の業だろうと獣医には言われました。(パニックになって帰省本能も働かないのかも…)
ガックリと肩を落としながらも、張り紙を貼ったり子どもの友人ツールを使って情報を集めたりすること3日目の朝…、ベランダで洗濯物を干していて何となく家の前にある雑木林に向かって「ナッツ―!!」と叫んでみました。
すると日本の野生では聞かない「ア”-ッ」という鳴き声が聞こえたような聞こえないような??、もう一度叫んでみると「ア”ーー」と鳴きながらカラスに追われるナッツを発見!!!!
カラスに追われて、私の目の前を通過して逃げていくナッツに、もうビックリです。
私の声を聞いて雄たけびあげ、カラスに目を付けられ追われたと私は想像しました。
急いでナッツを入れる袋とナッツ(アーモンド)をもってカラスが飛んで行った方に走りました。
すると家から50Ⅿ位の家の柵にカラスがへばりついて、椿の木を覗くのを発見します。
きっとナッツはここに逃げ込んだのだと思いました。
目を凝らして柵越しにナッツを探しますが、同化して全く持って見つけられません。
良く昆虫の擬態の話を聞いたりしますが、ナッツが緑なのは危険を回避するためのものなのだと納得です。
その日は、祭日で朝の8時ごろでしたが、迷惑を承知でお宅に声をかけ庭に入れてもらいナッツをゲット。
こんな奇跡のような出来事があるでしょうか?!(いえ、奇跡や偶然はありません。全てが摂理の働きなのです。)
ナッツは雑木林に逃げ込み、自分の家を探していたのかもしれません。
3日間、食事は摂れていたのでしょうか…。
どこでどういう風に寝たのでしょうか…。
ナッツの不安を思うと胸が痛みました。
そして、よく頑張ったとナッツを褒めてあげました。
とにかく3日ぶりに家に帰ってきたナッツはとっても甘えん坊になり、しばらくは私達にピッタリくっついて離れませんでした。
10月の初旬で、朝晩の冷え込みがさほど無い時期だったのも不幸中の幸いでした。
さて、その7年後、ほんの少し前です。
私がナッツを肩に乗せていることを忘れて玄関から外に出てしまいました。
するとナッツのとった行動は…なんと!!部屋に飛んで帰ったのです。
よっぽど、外が怖かったのだろうと思います。(私の主観ですが)
そんなナッツの行動をみて不思議に思ったのが、鳥にも記憶が残る??ということです。
この出来事から私は、シルバーバーチの霊訓(*1)のこんな言葉を思い出しました。
これは人間の記憶について述べられた言葉です。
問 「ぼくたちはどうのようにして物事を思い出すのでしょうか」
答 「一つのことを知ると、それは“記憶の部屋”にしまわれます。
そしてその知識が必要になると、知りたいという欲求がテコになって(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。
すると記憶がよみがえってきて、使用されるのを待ちます。
私用されるとまた記憶の部屋へ戻っていきます。
一度学んだことは決して失われません。
いったん憶えたことは決して忘れません。」
シルバーバーチの霊訓5 P166
ーーーーー
「人間の日常生活の大部分は潜在意識によって営まれております。
言わば潜在意識は倉庫の管理人のようなものです。
あらゆる記憶を管理し、生きるための操作の大半をコントロールしています。
その意味で人間のもっとも大切な部分ということができます。
—中略ー
貯蔵庫ともいうべき潜在意識の中にその人物のあらゆる側面が仕舞い込まれているのです。」
シルバーバーチの霊訓4 P157
多くの人は物を考えたりするのは脳と思っているかと思いますが、スピリチュアリズムでは脳という物的身体の機能ではなく、私たちの本来の根元である霊(魂)で思考したことが脳を介して顕在意識に上り、肉体の自分が意識すると考えています。
そして地上での体験や考えや思念は“記憶の部屋”に全てしまわれて、生きる上で必要な事を必用な時に、その“貯蔵庫”から引きだして使用するという仕組みなのです。
私が初めてこうした知識を知った時、人間はとても複雑な存在で、またとても緻密に創られた存在なのだと感動しました。
今まで生きてきたことの全てが記憶として残っているというのは本当に凄いシステムです。
と同時に、とても怖いことだとも思いました。
なぜなら、記憶の部屋には愛や慈悲、協調といった良い思念もしまわれていますが、逆に憎しみ、妬み、恨み、殺意などの悪想念もしまわれていることになるからです。
よく“腹黒い人”という表現を耳にしますが、自分も含めほとんどの人が腹黒い人なのだと思いました。
なぜなら、殺意や恨みなどの強烈な思いを持たずとも、少なからず“あの人嫌だな”という思いを持ったことがあります。
ですから、これからは記憶の部屋には残したくない思念を持たないように、日常を整えていこうと思います。
自分の思うことは全て魂に刻まれて残ること忘れずに、一つでも良い記憶が残るように人間性を磨いていきたいと思います。
また鳥にも犬にも猫にも記憶が残るとしたら、飼い主としての責任は重大です。
大好きな鳥や犬や猫たちに、楽しくて幸せな記憶を残してあげられるように沢山可愛がって愛してあげたいと思います。
(*1)「シルバーバーチの霊訓」シリーズは、”潮文社”から発行され、その後、絶版となりましたが、現在、スピリチュアリズム普及会で復刻・出版されています。