裁量労働制はすでに導入されている制度である。これは、みなし労働時間をたとえば8時間と労使で合意した場合、朝10時に出勤し午後3時に帰宅しようと残業して徹夜をしようと、8時間分だけの賃金を支払えばよいという制度である。裁量労働制の対象拡大は、経済界からの強い要望がある。
なぜ、財界が強く裁量労働制を望むのか。もちろん、残業代を節約し、賃金コストを引き下げるためである。現在、研究開発など一部の職種に限定されて裁量労働制が導入されている。確かにこうした業種で裁量労働制を適用するのは納得がいく。
しかし、一点突破主義というのがこれまでの政府のやり方である。とにかく第一歩の道筋をつけてさえしまえば、あとはなし崩し的に適用範囲を広げていく。当初あった反対も、時間とともにおさまり、いつの間にかそれが当たり前になっていく。
その代表例が労働者派遣法である。この法律が制定されたのは1985年で、当初、派遣が行える仕事は13業務だけだった。しかし、1996年には26業務までに拡大され、さらに2004年には製造業にも拡大され、非正規雇用が急増する一因となった。
物事は最初の一歩を動かすのが大変である。しかし、最初の一歩を何とか動き出させることができれば、あとは適当な理由をつけて適用範囲を広げることはそれほど難しいことではない。高プロや裁量労働の制度も同じである。
問題は、こうした企業寄りの政策に、労働組合がなぜ抵抗しないかということである。日本最大のナショナルセンターである「連合」が発足したのは1989年(平成元年)である。今にして思えば、このころから日本の労働組合は経営者べったりの「御用組合」になり下がってしまったといってよい。労働者の権利を守るはずの組合が、大企業の正規雇用の権利だけを守る団体に落ちぶれ、労働者の大多数の権利を守る団体ではなくなってしまった。
しかも、かつての二次産業が中心であった時代と違って、現代は第三次産業が7割を占める。第三次産業の特徴は、自分が頑張って業績を上げれば給料が上がり出世できる、ということにある。労働組合に対する依存度が低いのだ。その結果、労働組合組織率は今や17%台にまで低下してしまった。
1980年代というと、ちょうど日本にも「新自由主義」の嵐が吹き始めてきた時期である。社会主義が崩壊した時期とも重なる。まず労働組合を骨抜きにし、次いで所得税の最高税率の引き下げ、法人税の引き下げ、消費税の引き上げ、労働者の非正規雇用への転換、裁量労働制・高度プロフェッショナル制度の導入・・・
一つ一つを見ていてもわからない。しかし、過去40年を振り返ると、時代の流れがはっきり見えてくる。日本社会はあたかも「見えざる手」に導かれるように一つの方向に向かっている。政治・経済を専門とする職に就いて45年になるが、恥ずかしながらこうした動きを私自身もこれまで十分に認識していたとはいえない。
ここでふと思い出した。麻生副総理の発言である。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」(2013年7月29日 国家基本問題研究所のシンポジウムにて)
最近の40年の動きを見ていると、「アッ ソー」などと悪い冗談として聞き流せる発言ではない。行き過ぎた新自由主義は是正される必要がある。今ならまだ間に合う。しかし、そのうち政府を批判する自由すらなくなるかもしれない。権力にすり寄る最近のマスコミの論調を見ていると、そんなことまで心配になってくる。「歴史とはこういうふうに動いていくんだなあー」としみじみ思う。
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