最近、日本画をやり始めてレオナルド・ダ・ヴィンチのすごさを初めて知った。現存する彼の絵画作品は、モナリザや最後の晩餐など、たったの15点ほどしかない。これは彼が完全主義者で、新しい技法を試みるなど一つの作品を完成させるまでに長年にわたって何度も手を加える習慣があったためだといわれる。納期など無視してずっと持ち歩いていたのだから、注文主はさぞ困ったであろう。
モナリザはスフマート(イタリア語で「ぼかした」の意味)という技法で描かれている。これは輪郭をぼかして物体を色の境界が分からないように描く技術である。筆をどう動かしたか跡すら残さない。顔の輪郭だけではない。眉や目のあたりもそうである。これにより顔に神秘的な表情を与えている。
先日、千住博画伯の『日本画を描く悦び』という本を読んだ。その中にこういうくだりがあった。
「私にとってスランプは常態です。制作がうまくいかない、作品が思うようにならないと悩むのが芸術家の日常です。毎日がスランプ、毎日が挫折です。毎日スランプと挫折を味わい、そこから立ち直るのが私の毎日の画業です。それほどまでしても絵を描きたいと思える人だけが、30年、40年と絵を描き続けていけるのです。でも、それゆえ必死になるのであり、面白くもなるのです。」
話は変わって、先日の日本画教室で、ある受講生Sさんと交わした雑談である。Sさんはもう30年以上も絵を描き続けているベテランである。
私 :「最近、絵を描くのが楽しくなってきました」
Sさん:「そのうち苦しくなってきますよ」
考えてみればエレクトーンも同じかもしれない。この1か月ほど「G線上のアリア」に挑戦してきた。これまでは2週間に1曲のペースで何とか弾けるようになったのに、この曲は1か月やってもうまく弾けない。新しいコードがいっぱい出てくるうえに、1小節に3つも4つもコードが変わる箇所がある。しかも、オンコード(ベース進行が普通のコードと異なること)が普通に出てくる。
落ち込んでいる私を見て「この編曲は初級者用ではないです、難しいです」「できなくても、できないことも含めて楽しむ心を忘れないようにしてください」と先生から励まされた。
囲碁も同じことがいえる。勝つことだけを目的にしていたら囲碁は苦痛なだけである。世の中には強い人はいくらでもいる。故藤沢秀行名誉棋聖が「目先の勝敗にこだわっていてはいけない、芸を磨け」とさかんに言っておられたのを思い出した。そうか、囲碁も芸なのだ。
勝敗を抜きにして楽しめることはわれわれアマチュアの特権のはずである。勝ちにこだわっていては視野が狭くなる。最近遠ざかっていた囲碁を再開するのもいいかも。そうなれば、囲碁に日本画にエレクトーンとますます忙しくなる。閑居して不全をなすより、まあ、いいっか。
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