人は何故男と女なのか?人類の謎に迫る!
かっあ~⤴️、凄いタイトルですね。
けど、答えは、簡単。
愛が全てだから。
男と女。同じ人間だ。平等だ。と叫ぶ人はいる。確かに人権において、平等です。
が、構造は同じようにあるからと、性質も同様とは限らない。
見た目も身長は男性よりやや低め。筋肉も男性の方が付きやすく求めやすい。
機能の面からも、男は子供は産めない。お乳も出ない。(一般的な男女の違いの意味)
骨事態も骨盤の形から女の方が子供を宿し育てる骨盤になっており、一般的に母性愛という男性にはない、子供に対する情的作用も異なる。
色々他にもあるがこれらは全て私が改めてご紹介する内容でもないので以下は省略する。
愛が全てだ。平等だ。と言って変に形を変えて捉えられても困るが男性と女性に生まれた意味も本人が望もうが望むまいが天地創造された神様が与えた位置、性別に不満があるからと逆らう者じゃないんです。
愛は、一種のエネルギー。電池と同じで、違う性質とを合わせるから電気が起こる。
男女の性格は似ていても似てなくても、性質が異なるからこそ、エネルギー、愛となる。愛は見えない。見えないエネルギーを科学では虚数という。イマジネーション。imaginationの略でIを表す。Iエネルギー。愛エネルギー。
結婚するに当たり男女の差はあってはならないと言うが必ず必要です。
そもそも男女が生まれた原因は、神様の性質から分けられて創られた存在です。
それも、主体と対象(客体)と分かれ、性別においても分けられています。
私がいる。そうすると、必ず私に、対して主体がおり、また、対象が存在するんです。
絶対的です。
神様が主体の本山です。原因です。だから、人間はあくまでも神様の対象。
社長が主体で社員が対象と同じです。社長の意向に、会社の意向添えないのならば、社員でなくなるのと同じように、神様の意向に添えない存在は、存在価値すらないのと同じです。
ですが、神様には目的があったと言われています。それは、父子の関係だと言われています。親子関係です。
ですから、主体たる神様が願わない行動をしていても直ぐに問われない、裁かれない理由は、父子関係が神様との間にあるからです。
そのように男女は主体と対象のような性質が発生しますし、そのようになるようシステム化されています。
プラスとマイナス。これが神様自身の姿。だから、男も女が生まれ、男はプラス的、凸的な体や性質を持っているし、女はまた、その逆です。
よって男女平等だと言えどもプラスとプラス、マイナスとマイナスのような夫婦関係は神様の本質と異なるため、生産性はなく、成長しません。
発展はありません。
科学の本質が神様ですから、プラスとマイナス。男女からしか子供、つまり未来への道はありません。
男と女がある意味は、未来のため、永遠に続くために存在するということです。
神様は無限です。しかし、人間は有限なので、無限の存在にする梯川、天ぷらでいう、ネタと小麦粉のつなぐ玉子の役割が神様だと言うことです。
そういう意味からして、男性は女性より少しでも身長が高くあった方が良いと言われています。どんなに男性が低くても少しでもよいので女性は低い方が良いのです。
どんなに男性が低くてもドラゴンボールのベジータの髪の毛のように逆さ髪姿でも結構だから高くすしたり、ヒール付き靴でも構わないから男性と女性の身長の差は設けようということ。
仮にどうしても女性が身長が高いならば、女性が尽くしてあげることですね。
神様がそのように創られているからです。
昨今、離婚が多いのは、繋ぐ玉子、神様が夫婦にいないからです。
愛は、若いうちにや、初期の男女関係にはあるような現象はあるが愛は、本物しか残らないので、相手のために、犠牲的な奉仕する無条件な行動と心情がなくては成り立ちません。
力に差はあるのです。差があるから愛となることを知らないからです。
嫌いなタイプ、得意なタイプじゃない者同士がある目的と1つになって行動した時、奇跡的な感動的な結果が生まれるのは、異なる存在、差があるからです。
だから、違うからと裁くのではなく、諦めるのでもなく、神様、繋ぐ力を求めて互いに1つになること。これが発達、発展する無条件の方法なのです。
神様を研究した方は知っています。
男女がいるのは、神様が原因だからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます