お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

池波正太郎

2012年10月02日 | キリスト教会
台東区の生涯学習センターには「池波正太郎・記念文庫」がある。
オレは人生の節目節目には必ずここに立ち寄ることにしている。
離婚した時、退職した時、バイトを始めたとき、友人が亡くなったとき、などなど・・・
何をしにいくかというと、、、

記念文庫には来観者のために雑記ノートがおかれている。
記入内容は自由だがそこは池波ファン、
しめし合わせることもなく必然的に「池波先生へのメッセージ」の集積となっている。
オレはかなり本気でそのメッセージは天国の先生に届くと信じている。
だからオレはいつも真剣で、ちゃんとした手紙のつもりで書いているのだ。
ノートはもう何冊目なのだろう?
たしかオレが記入を始めてから軽く5年以上はたっているはずだ。

そして、
今日も赴いて記入してきた。
汚い字はご愛嬌だ。
池波先生にいろいろと報告してきた。
まだ生きてます、ということ。
そしていつも通り「先生に一目でも会いたい」ということ。
最後に、もう少し頑張ります、ということ。

きっと読んでくれたと思う。
池波先生に嘘をついたことは無い。
だから頑張るしかない!!

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2 コメント

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生きる糧! (カオリ)
2012-10-04 07:07:55
突然のコメント、失礼します!
なんか最近お仕事のせいか眠くて眠くて、あんまりPC内散歩(人様のブログなど拝見すること)していなくて、
いまさらですがお邪魔致しました(ゴメンナサイ)

お松さんがご自分と向き合っている姿、これって誰でもできるものではございません!
自分をとても分析して時には客観的に見ていらっしゃる。
そして文章にしていらっしゃる。
とても真面目な方なのだと思います。
そして池波正太郎さんという、「報告」すべき心の支えも持っていらっしゃるし、教会の方もいらっしゃる!

状況もわからない私なんかが書くのも大変失礼ですが、冷静な判断力と、支えて下さる方がいれば本当に心強いことです。

お松さんにとっても池波先生がそうであるものが、私には「京都」で、実は私は大学を卒業して十数年、転職を4回もして本気で死にたくなったつらい時期も数度経験し、
悩んでいるときや、人生の転機に突然思い立って京都に行っていました。(交通費かかるけど!!)

「生活の場」である東京を離れて、勝手に決めた「心の故郷」京都に行くことで、冷静な判断力を欠いていたどん底の自分を客観的に見つめなおし、かつ神仏に祈ることで何かご託宣を得られればと。

だから、新幹線から京都駅に降り立ったときは、いつも「ただいま、また戻ってこれたよ」って勝手につぶやき、
仏様の前で手を合わせるとこは、「また無事にお会いすることができました、ありがとうございます、また次も会いにきれるよう見守っていてください」ってこちらも勝手につぶやいています。

お松さんの池波さんの記事を読んで、なんだか私とおんなじだ~と思ってしまいました…スミマセン!!!

ちなみに私、職場には恵まれなかったのですが(それも自分がいけないんだと思いますが)、最初に入った職場の上司たちには恵まれ、今でもこれらの方々には支えられています。
やっぱり人間って一人では生きていけないし、なんだかちよっとしたときに「思わぬ力」が働いて不思議なめぐりあわせがあったり、何かの力のもとで生かされているのかな~と思う時が多々ありました。

なんだか何を書いているのやら自分でもまとまりがないと思っていながら、こんなコメントしてスミマセンです!

お松さんの「重い問題」が解決することを祈っています。

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心の故郷は大事ですよね (お松)
2012-10-04 18:11:29
俺もカオリさんを数少ない「話の通じる相手」と思っているのです。
性別・年齢関係なく、シンパシーを感じる相手との出会いは貴重ですし、感謝してます。
ずらずらと長いコメント、あれは俺の甘えであり、カオリさんに「少しでもストレス解消になれば・・」のリコメントを読んだときには、も~う恥ずかしくなったり、でも嬉しくなったり、だったんですよ。
俺の場合、自分のブログの前面に宗教を開示しちゃってるので、必要以上に警戒されることが多々あるので、余計に嬉しくなるのです。
そもそもこのブログ開始の動機が「新たな世界での修行日記」だったもので、書かざるを得ませんでした。
一応、宗教関係の他のブログもチェックしてみて、「悪い例」を重点的に学習して、「ああはならないように」とだけ配慮はしております。
それに、「男性と女性」っていう、ややもすればデリケートな部分もあるので。
俺のブログのブックマークがほとんど女性のモノなのも、見ようによっては「十分怪しい・・」のだし。
そこら辺を邪推なく善意に受け取って頂いてるのも大いなる喜びなのですよ。
なぜか女性のやってるブログの方が格段に楽しいのですよね!
これ、偶然ではないと思ってます。

カオリさんが過去に試練・経験を経てきたというのは、さすがに文章に現れてましたので「なんとなく・・」分ってました。
お互いにその辺は感じ取れたはずです。
だから俺としては信用度が増しましたね。
歴史が好きってことは、現代において、もっと人を好きになりたいという心の表れのひとつなのかもしれませんねーー。
現実の世界には惜しくも本当の英雄というのはほとんどいない。
だから、俺なんかは幼稚な願望だけど、現代の人間一人一人がもっと高めあって成長して全体のレベルが上がればいい・・・と。
歴史を紐解くと確かにそういう人間が実在した形跡があるから、やはり惹かれるのでしょうかね?
あんま詳しくないけれど、キューバ革命のチェ・ゲバラはそれを「新しい人間」と表現していたようです。
労働に喜びを感じ、欲張りをせず、自分よりも隣人を自然に思いやれる人間・・・くらいの意味でしょうか。
いま教会に集っている人たちの思いも要約するとそういうことになるようですよ。

反面、チェを俺なんかと同等に語っちゃ失礼ですけど、チェも俺も、教会の人間たちも、「他人に求めるハードルの高さが異常に高すぎる」という欠点があります(苦笑)
「関ヶ原」の、、、あいつ、、度忘れした
あ、石田三成だ!
あれですね。あの人といっしょ。
観念主義で理想主義。リアリストのセコい点をついついキャンキャンと吼えて批判しちゃうロマンチスト・・・。
少し違うのは、それを「大々的に反省したい!」という奇特な人種が多い点でしょうか(笑)
盛大に自己批判をしたいのね(笑)
普通、世間ではそれは隠すものらしい・・・。

そうやってると、時として苦労や自責の念がこじれて自分を傷つけたくなります。
俺もカオリさんといっしょですね。
通院もしてデパス飲んだり眠剤呑んだり。あとパキシルだったか。
俺は、なんだか偉そうなことも言ってますが、読書に本格的に傾倒したのは30代になってからなんですよ!
一番精神的につらい時期に、池波先生と出会ったわけで、ものすごくそれで心が慰められ、救われたのです。
今もそうです。つらい時に読む。薬より効くし(苦笑)
だから、カオリさんの「京都」、「そうなんだよね~」という感じ。
京都人っていろいろ言われることもあるけれど、大きなくくりで関西人ってのは、基本人情が東京人よりもあると思いますし。
良い意味で田舎の部分が強く残ってる。
俺は神戸に都合8年くらい暮らしましたが、全体的にくだらない社交じれいは東京より少ないと感じてました。
男も、女も、優しかった。純粋だった。

と、また長くなりますねーー(笑)
気持ちとしては友人に近い感覚になってますので、気軽に話をしてくれれば嬉しいです。
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