お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

統制経済

2012年12月30日 | キリスト教会
なんだか安倍総理大臣の経済政策を聞いていると、
昔、学校の世界史で習ったアメリカのニューディール政策を思い出す。
1929年の世界恐慌、その時アメリカでは実に労働者の四人に一人が失業した。

ニューディール政策は、社会福祉を導入する一方で公共事業を行なうことによって景気を立て直そうという試みのこと、だった。
ようは政府主導で経済を動かすということ。
これは一時的には劇的、奇跡的に効くように見える。

でもこれは今まで蓄えた富を使うだけのこと、
体に例えれば体脂肪を燃焼しているだけで、いつか体は痩せ衰える。

多分、安倍さんはその「劇的に、奇跡的に効」いている短期間でもって自由経済が活性化するための道筋を創ろう!と云うのだろう・・・。
成功すれば景気は安定を得る。
しかし失敗したら・・・?

失敗したら、さすがにおとなしい日本人も暴動を起こすかもしれない。
原発事故のとき、国会前に集まった原発反対民衆は実におとなしかった。
あれを見て欧米人などは「どうして日本人は暴れないんだ?」と思ったのではないか?
あそこで自制心を利かせることができるのは日本人だけだと思う。
その日本人が、今度という今度は我慢できなくなるんじゃないか?・・・
民衆が暴力にうったえるようになると、今度は国が暴力を奮うようになるものだ。
そうなれば最悪だよ・・・。

安倍さんの総理就任は各国で「政府の右斜化」と報道されている。

産院戦が終われば安倍さんは間違いなく「憲法改正」を言い出すことだろう。
その頃に経済がダメダメだったらどうなるのか?
暴れまくる輩が大量発生するんじゃないか?
国会議事堂が炎上する日がくるんじゃないか?

そうならないように祈るけれど・・・。
アーメン。。。

毎日唄おう

2012年12月29日 | 聖歌
今日は土曜日なのでいつも通り午後3時から聖歌隊の練習でした。

年末なのにみんな熱心に集まってきます。
みんな、聖歌が、唄うのが好きなのですよね。

まずは明日の礼拝のときに唄う「主はその群れを」から。
「主」・・とは神様(我々プロテスタントの場合、並びにイエス様をも含みます)。
「群れ」・・とは聖書ではそう書いてなくても「ヒツジの群れ」を指し、
同時に我々凡夫全般を示しています。

聖歌はこのようにひとつの歌詞でも二つ意味を持たせるダブル・ミーニングのものが多いです。
3つであれば、トリプル・ミーニング。
聖歌は簡単な言葉を使って作られているのに深みがあるのはこの為です。

1741年の作。 歌詞は旧約聖書から。
原題は「He shall feed his flock like a shepherd
作者は・・・綴りがむずかしくって読めないや!(笑)

編曲者として中田 羽後 1896年・・・とあります。明治時代?
聖歌で「He」とあったらそれは「神」を指します。

神は牧羊犬のごとくヒツジの群れを守り養うでしょう・・・くらいの意味でしょうか。

この曲のテナーは高音が続くのでばかに苦しい(難しい)、だから男性はアルトを担当します。
僕は、慣れもあるのでしょうがアルトよりもテナーの方が唄いやすいです。
その上この曲はダイナミックに音程が上下するので難しいと思います。

なのでこの曲は以前聖歌隊々長T女史のもとで特訓した際にも練習をしました。
なので多少は唄いやすくなったかもしれません。

また、今日の練習の時に気づいたのですが、自分として大声が出しやすくなりました。
そして声の質が良くなってきている感じもしました。

これは多分、ひとえにここ最近の練習量と唄う機会が増えたことの賜物と思います。
やはり歌声ってのはなるべく毎日出した方が良くなるんですね~・・・

すごいもんだ。

僕は今後、どこかの河川敷、土手など大声を出せる環境を探して、
毎日、少なくとも20分は唄おうと思ってます。

ちょっと恥ずかしい気もしますが、うまくなるにはこれが一番だと思うのです。。。
アーメン。

善い賛美の姿勢

2012年12月28日 | キリスト教会
大学院生の科学者であるT君と僕とのデュオの名前が半ば決まりました~♪
・・・と、その前にこの聖歌隊内ユニットのコンセプトを申しますと・・・
基本的にはT君のギターとヴォーカルが木でいう「幹」の部分になります。
その幹に様々な「枝」や「葉っぱ」を付加して多種多彩なユニットを造り、披露する・・・というもの。

我が聖歌隊には唄えるだけでなくトランペットを噴けるS子さんという女性がいます。
ですが普段の聖歌隊でのレパートリーでS子さんのトランペットが入る余地がありませんし、
また、彼女は優秀なヴォーカリストでもあるので聖歌隊全員が唄うレパートリーに参加しないと全体のハーモニーが大きく崩れるのです。
そこでT君と二人でテンポラリーなユニットを組み、トランペットを披露する訳です。
こうすると単なるデュオの魅力だけでなく「ギターとトランペット」というふたつの楽器のアンサンブルが楽しめるんですよね。
このようにすればT君と他の聖歌隊内のメンバーとの組み合わせの数だけ違った趣向が味わえます。

加えて、T君としては聖歌隊の正規隊員以外の人々とも臨時ユニットを造っていきたいとの事なのです。
この発想に僕はとても感心した次第です。
教会内には聖歌隊の活動には都合で参加できないものの歌唱が抜群にうまい人や楽器を弾ける人が少なからずいらっしゃるのです。
彼等は普段その技量を発揮する機会がなく、まさに宝の持ち腐れ状態でした。
それがユニット形式ならば解消できるわけですね~!

いやぁ~、T君って本当に優しいんだな・・・って、そのアイデアを聞いて僕は再認識しましたよ。
T君としては主を賛美したくても機会を与えられない彼等のことを普段から気にかけていたのが解るからです。

僕はそういう清心がとても好きなので、今後はT君の活動を全面的にバックアップしていこうと決めました。

それにT君自身のヴォーカルも最近は富みに進歩著しいしギターもうまいので、彼のソロを聴いてみたい思いもありました。
そう、それにテクニカルな面よりも「神へ自身のパフォーマンスで賛美を捧げる」精神を重んじる・・・というT君の姿勢は僕と通底するところが多いんです。

あ、そうそう、肝心の僕と組む場合(T君+誰か、に関わらずこの名称にするのかな?)のユニット名)ですが、ほぼ

2デナリアス

トゥー・デナリアスと読みます。

これに決まりそうです。

この名前は新約聖書ルカによる福音書10章にある『善いサマリア人』の喩え話に由来します。
有名な説話なので内容は割愛しますが、
病に倒れた見知らぬ旅人を純粋な憐れみの心のみで介抱し、
自分の用事を済ませるために宿屋の主人に「この人の介抱をお願いします。帰りにまた寄りますので・・」とそのサマリア人が宿屋に渡したのが2枚のデナリアス(表記は「デナリオン」)銀貨でした。

この説話は我が稔台教会の牧師であられる内藤先生が普段から高い価値評価を認めている教え・・・というゆえんがあります。
T君と僕は内藤先生のお人柄、姿勢に感動・賛同してこの教会に入った者ですから、それを含んだ名前にしたかったのです。
そして2枚の銀貨・・・
二人のユニットというコンセプトにも合致します。
何よりデナリアス、またはデナリオンという単語の響きが気に入りました。
元は古代ローマ帝国で流通していた貨幣の一単位名ですが、今は使われていないので格好悪くは無いだろう・・・と(苦笑)

最後に迷うのが「2デナリアス」と「2デナリオン」のどちらにするか・・・?です。
T君は「2デナリアス」の方を気に入ってくれた雰囲気ですが、さて最終的にはどうなりますか、僕にも解りません。

う~ん・・・

やはり響きはデナリアス・・・の方が高貴な感じがします。
デナリオンはエヴァンゲリオンめいてる感じがしないでもない(笑)

どちらにせよ、楽しみっす!
アーメン

歌唱力アップ計画?

2012年12月27日 | 聖歌
唄う・・って、やはり才能なのだろうか??

ポップス、ロック、演歌、ジャンルは様々、
なれど「この人はウマい!」と思わせる歌手は一様に「子供のころからウマかった」とおっしゃる。

西欧諸国の歌手の場合、その多くがもともと「子供のころに街の教会の聖歌隊で唄っていたんだ」
・・・と、インタビューに答えているのを散見しますね。
子供のころ、みんなで唄っていたら自分の声だけ大きく、ツヤがあることに気づいた・・という感じ。

こういう話を聞くたびに「さすがキリスト教圏だ」との感慨を持ちます。

日本の場合は小学校の音楽の時間に・・とか、家のTVの前で好きなアイドルの歌真似をやって・・とか、
父が唄っている演歌を自然に覚えてしまい唄ってみたら父よりウマかった・・などのパターンが多い気がします。

僕はというと家庭環境にも個人的趣味にも「音楽」というのは希薄で、
あえて揚げれば高校1年生のときに友人の中村君から聴かされたメヴィーメタルが音楽との出会いになりました。

ハードロックとヘヴィーメタルとはそれ以来の付き合いで、30年弱(!)になります。
「唄は叫ぶだけ・・」というような偏見を持たれやすいメタル界ですが、
本当にウマい人は超絶的に歌がウマいです。
そういう人の過去もやっぱり聖歌隊が多いンですよね~・・・

この人もそうです、ギターを弾くのはウリ・ジョン・ロート、
そして唄うはマーク・ボールズ!!
すんごくウマい!と思いません・・・?



やっぱりすごいや、聖歌って・・・(しみじみ)

・・・って感心してる場合じゃなく、唄は「普通」の実力の僕は、なんとかウマくなりたいと思ってます。
もちろん、プロ並みに・・などという野望はカケラもなく、今より3割増し程度になりたいのです。

声量を増やしたい。

音域を高低少しずつ増やしたい。

ヴィブラートの精度を上げたい。

だいたいこの3点が目標です。

ネットで検索してトレーニング方法を観ても、よく判らないしピンとこない。
誰か格安で先生をしてくれないかな~~・・・(遠くを見る目)

まさか本格的に学校にいくなんてあり得ないし、近所にそういう人がいたらいいのになぁ~・・
カラオケ教室みたいのは駄目だぁ、、、聖歌と歌謡曲はやはり根本が違うと思うんです。

はぁ~・・・・・・
どうにかならないものか。
とりあえずハウ・トゥー本でも買ってみるか!

主よ、このノンキな子羊をどうかお許しください・・・
アーメン

終始幸せ

2012年12月26日 | 聖歌
何かと忙しい、それでも幸福なクリスマスが終わりました。

幸福・・と書いたのは大げさでもなんでもなく、このクリスマスの間、
僕はとても幸せでした。
「生きていて良かった」と何度も思いました。

人生には何度も挫折はあるし、死にたい、消えてしまいたいと思ってしまうことも多々ありますよね。

そのたびに傷ついて、それでも傷を治して、ふたたび世の中に出て行く・・・
その繰り返しです。

今の世には、そんなときに家に引きこもってしまい、ニートになってしまう人々がたくさんいます。
一度ニートになると復活が難しくなるのは、なんだかわかる気がするのです。

僕は以前、「人は人によってしか変われない」と言ったことがあります。

人は生まれ落ちて、いつか死ぬまで、一生の間に何回も何回も自分というものを作り直します。
僕の言う「変わる」とは「作り直した結果として成長をした」姿ということになります。

言い換えれば、人は人との出会いによって成長するのでしょう。
そう。だから家に引きこもっていては変化は得られない、よって成長もできません。

わかるんです。

世の中には良い人ばかりではありません。
出て行けば良い出会いばかりとは限らず、その大半が嫌な思いを伴う勉強になるのでしょう。
でも、だからこそ人は成長するとも言えます。

その成長には「嫌な思いをする勉強」だけでは足りなくて、やはり「心地よい癒し」も必要となるでしょう。
良い人々と出会い、自分の魂を癒される思いをする・・・人生の幸福とはコレだと思っています。

このクリスマス、僕は終始幸せでした。
特にイヴイヴの「聖歌隊だけのクリスマス」の日の夜が最高でした。

聖歌の練習をして、みんなでご馳走を食べて、飲んで、遊びました。
ここ最近で一番、あの夜に、僕は笑い転げました。
とにかく楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

自然に何度も「いいクリスマスだ」とつぶやきました。
心の中では何回も「生きていて良かった。あきらめないで良かった」と思い返していました。

さあさあ来年!
僕はもっともっと頑張らなければいけません!!
目標はたくさんあります。
ありがたいことです。

感謝を忘れずに・・・
アーメン。。。