劇団未来ブログ

劇団未来や団員の あれこれ を発信

きょりかん

2009年03月13日 12時28分36秒 | 観劇・鑑賞日記
今回客演していただく方がご出演されている舞台を拝見した。

なんと、全配役Wキャスト!!

我劇団でも、何度かWキャストはやっているのだが、2チームに分かれての完全なWキャストというのは、なかったはずだ。
互いの役者は、いったいどんな気持ちだろう。
比べる気はなくても。比較してしまうだろうし、なんと言っても自分自身が気になるものだ。

それはともかく、久々に感じるところの多い芝居だった。
この芝居を観て、大変勉強になった事を記したいと思う。
大きく2点

まずひとつ 
”会話劇”の難しさを痛感した。
何か大事件などが起きてストーリーが展開するのではなく、いま、そこにいる人間通しののつながりで、はなしが進んでいく。

だから、当然「台詞」にのみ頼って芝居はできない。
よく言う「なかみ」が大切になってくるのだ。
「台詞」間違えずに聞こえるよう言ってくれれば物語自体は難解なものでない限り理解できる。
次に、観客は確実にその役者の「なかみ」を知ろうと努力しだすのだ。

もうひとつ。
「距離感」というものを感じた。

普通、日常生活でも“遠い人”“近い人”などあると思う。
夫婦や、恋人、兄弟などを“近い人”とするのなら“友達”や“仕事関係”などは、多少“遠い人”となる。
(実際このような専門用語はないと思うが勝手に定義してみた。)

同じ内容の会話をしていても、第3者としてそれを観察すると、多少その「距離感」というのは感じ取れるはずだ。
<ああ、こいつら仲良いのやな>とか<あ、仲良くしゃべっているけど、チョッと気ぃ使こてはるな>とか、感じ取れる。
また、同じ人でも、会話の内容で<この話は親密だが、あの話しはこいつにしゃべれない。>ということで、「距離」をもつ事もある。
また、3人で会話していた時に、1人減る事により、急激にその関係性の「距離」変わることもある。


日常生活でも、他人を見ていて感じ取れるのだから、芝居という舞台上では、観客はその関係性を“監視”しているともいえる。
その中で、役者は微妙な人間性を表現しているのだ。

なんてことを、感じた。

実際に、どのような芝居だったかは、是非とも足を運んでいただきたい。
芝居の感じ方は人それぞれで然るものなので、特に明言することもないと思う。


ただ、我劇団の次公演では、内容は違えど“会話劇”である。
上記のことを、観客は“監視”するんだろう。

ひぃー、たいへんにゃー




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