変化が嫌いだ
多くのヒトがそうだろう
ココに出てくる「ワーニャ」のヒトたちも、そうみたい。
今のままでありたい。
それがその状態が苦痛でないのなら…。
ヒトにとって“しあわせ”って違うと思う。
お金がほしい
彼女がほしい
健康がほしい
地位がほしい
名誉がほしい
その尺度も違えば、求めるラインも違う。
ただ、今の状態で満足でないから、より高いところを目指す。
しかし、今の状態は変えたくない。
水準は落としたくない。
でも、もっと“しあわせ”になりたい。
「変えたくないけど変わりたい」
まあ、矛盾といえば矛盾だ。
今の状態を変えないということにもそれなりの努力がいる。
だから、“今の自分は頑張ってるはず”と思うのだと思う。
しかし、他人のことになればたいした問題じゃぁない。
「ぼく、大変なんだよねぇー」
「いいや、お前よりオレのほうが、頑張ってる」
みんな、そう言う。…そう、みんな。
「自分のものでもない他人の女房のことをどうして気に病むの」
登場人物エレーナの台詞で、そんなくだりがある。
なんとも、奇妙な言い回しだ。
そう、自分のことなら気にすればいい。
ヒトのことなど放っておけばいい。
なのに、意見してしまう。
余計なお世話なのに…。
ふふふ、でもやっぱり気になるのよねぇー
それが、にんげんなのですねぇー
少々、長くなるが、
本日、「大阪新劇フェスティバル 前夜祭」に参加してきた。
大阪の老舗劇団を中心とした劇団のフェスティバル。
劇団未来も参加している。
70周年を迎える大阪放送劇団
40周年を迎える劇団大阪
すごい
すごすぎる
まあ、劇団未来も来年50周年を迎えるのだが…。
長い年月、続けるのは楽なことではない。
楽しいこともあれば、苦しいこと、一言ではあらわせない苦難が有る。
それは、そこに所属し続けたヒトにしか分からない。
ただ、続ける為に続けたのではない。
結果「続いた」のだ。
そのことに、まず敬意を表さなければならない。
他人(そと)からみれば、無駄なこと、おかしなこと、やめておけばいいと思うこと、
いろいろあるだろう。
しかし、それらすべて含めて続けてきたのだ。
その歴史を一概に、ぱっとみて、外部の人間が批評するものではない。
その苦労の先にあったものが何なのかを、想像させていただくくらいだ。
だから、他所にはない、“何か”すばらしいことがあるのだと思う。
だから、みんな頑張っているのだろう。
ただ、そこで、不満や不平もあるだろう。
しかし、簡単に外から見て評価すべきではない。
ましてや、思いつきのアドバイスなど決してしてはいけない。
今回、「ワーニャ」をやっていてそんなことを思った。
ちょっと、劇団の運営と似ているところがあるような気がする。
教授アレクサンドルの忠告
「仕事をしなければいけませんぞ。仕事を。皆さん、ではご機嫌よう」
なんと言われようと、いき続けなければならない…。
最後に、都都逸ひとつ
♪私の想いはトタンの屋根よ
瓦無いのをみて欲しい♪
かわるんだよねぇー
(わにゃ)
多くのヒトがそうだろう
ココに出てくる「ワーニャ」のヒトたちも、そうみたい。
今のままでありたい。
それがその状態が苦痛でないのなら…。
ヒトにとって“しあわせ”って違うと思う。
お金がほしい
彼女がほしい
健康がほしい
地位がほしい
名誉がほしい
その尺度も違えば、求めるラインも違う。
ただ、今の状態で満足でないから、より高いところを目指す。
しかし、今の状態は変えたくない。
水準は落としたくない。
でも、もっと“しあわせ”になりたい。
「変えたくないけど変わりたい」
まあ、矛盾といえば矛盾だ。
今の状態を変えないということにもそれなりの努力がいる。
だから、“今の自分は頑張ってるはず”と思うのだと思う。
しかし、他人のことになればたいした問題じゃぁない。
「ぼく、大変なんだよねぇー」
「いいや、お前よりオレのほうが、頑張ってる」
みんな、そう言う。…そう、みんな。
「自分のものでもない他人の女房のことをどうして気に病むの」
登場人物エレーナの台詞で、そんなくだりがある。
なんとも、奇妙な言い回しだ。
そう、自分のことなら気にすればいい。
ヒトのことなど放っておけばいい。
なのに、意見してしまう。
余計なお世話なのに…。
ふふふ、でもやっぱり気になるのよねぇー
それが、にんげんなのですねぇー
少々、長くなるが、
本日、「大阪新劇フェスティバル 前夜祭」に参加してきた。
大阪の老舗劇団を中心とした劇団のフェスティバル。
劇団未来も参加している。
70周年を迎える大阪放送劇団
40周年を迎える劇団大阪
すごい
すごすぎる
まあ、劇団未来も来年50周年を迎えるのだが…。
長い年月、続けるのは楽なことではない。
楽しいこともあれば、苦しいこと、一言ではあらわせない苦難が有る。
それは、そこに所属し続けたヒトにしか分からない。
ただ、続ける為に続けたのではない。
結果「続いた」のだ。
そのことに、まず敬意を表さなければならない。
他人(そと)からみれば、無駄なこと、おかしなこと、やめておけばいいと思うこと、
いろいろあるだろう。
しかし、それらすべて含めて続けてきたのだ。
その歴史を一概に、ぱっとみて、外部の人間が批評するものではない。
その苦労の先にあったものが何なのかを、想像させていただくくらいだ。
だから、他所にはない、“何か”すばらしいことがあるのだと思う。
だから、みんな頑張っているのだろう。
ただ、そこで、不満や不平もあるだろう。
しかし、簡単に外から見て評価すべきではない。
ましてや、思いつきのアドバイスなど決してしてはいけない。
今回、「ワーニャ」をやっていてそんなことを思った。
ちょっと、劇団の運営と似ているところがあるような気がする。
教授アレクサンドルの忠告
「仕事をしなければいけませんぞ。仕事を。皆さん、ではご機嫌よう」
なんと言われようと、いき続けなければならない…。
最後に、都都逸ひとつ
♪私の想いはトタンの屋根よ
瓦無いのをみて欲しい♪
かわるんだよねぇー
(わにゃ)
こういうのを都都逸っていうのね。