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原作者・チェーホフについて

2011年10月07日 10時01分48秒 | 稽古日誌
原作者アントン・チェーホフの簡単なプロフィールを紹介します。

1860年(万延元)、南ロシアの港町タガンローグ生まれ。
この年、日本では井伊大老が殺される桜田門外の変が起きています。

1876年(明治9)、16歳の時に父が破産して一家は夜逃げ。

1884年(明治17)、24歳の時にモスクワ大学医学部卒業。
この頃より文筆をはじめますが、最初の喀血も…。

30代前半にサハリンの小学校に図書を送ったり、飢餓農民の救済活動、コレラの防疫活動、小学校の建設などの社会活動を行います。
まるで、『ワーニャ伯父さん』のアーストロフのようです。

1897年(明治30)、37歳の時に喀血、入院。

1898年(明治31)、38歳の時にモスクワ芸術座『かもめ』大成功!

1899年(明治32)、39歳の時にモスクワ芸術座『ワーニャ伯父さん』上演。

1901年(明治34)、41歳の時にモスクワ芸術座『三人姉妹』初演。
同劇団の女優オリガ・クニッペルと結婚。そして、遺書を書く。

1904年(明治37)、44歳の誕生日(1/17)にモスクワ芸術座『桜の園』初演。
7月南ドイツの保養地で永眠。
この年、日露戦争が開戦します…。

医者であったチェーホフは自分の命が長くないことを知っていたと思います。
30代前半の社会活動、後半からの連続執筆、結婚は、まるで芝居の結末に向かって疾走する主人公のようです。

死ぬと分っていながら、チェーホフは『ワーニャ伯父さん』でソーニャに次のようなことを言わせています。

「伯父さん、生きていきましょうよ。…片時も休まずに、人のために働きましょうね。あの世へ行ったら、…どんなにつらい人生を送って来たか、残らず申し上げましょうね。すると神様は、まぁ気の毒にと思ってくださる。…ほっと息がつけるんだわ」

ラストのソーニャの長い長いモノローグは、チェーホフの〈祈り〉だと思います。
彼は書きながら救いを求めたのかも知れません。
100年後の私たちは、彼の作品から救いを見つけることができるでしょう。


(by 脚本・演出)








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