河井議員夫婦の件で、案里氏がテレビのニュースで話していたのを聞いたんですが、「私はイヤだなぁ」と思ったことがあったので、書いておきます。
案里氏が議員になる時の志を問われて「日本を変えたい」と言うのを聴いて、「どんな日本にしたいんだろう?」と思ったのです。
案里氏は、夫の議員さんが現政権=安倍首相に近いということで、同じ選挙区の同じ政党の候補の10倍もの資金支援を受けて、その同党現職を蹴落として(そういう印象です)当選したんですよね。それが“正しい”となれば、権力のトップに近い人があからさまに優遇されて、そういう人たちが集まって権力体制が作られ、ひいては権力に近い人たちの数の論理で国が動かされる、という体制が“正しい”ということになるんじゃないかと思うんですよ(直線的な理屈で申し訳ないが)。
なぜそんな風に思ってしまうかというと、それはもちろん現首相がそういうことを繰り返しているからです。「森友」では、配偶者がバックアップしようとしたアヤシイ(あくまで私個人の印象です)夫婦を優遇したものの、不都合なことになってきたら、そういう“末端”は切り捨てる。命を賭して“真実”を訴えようとした“末端”の人には向き合おうとしない。「加計」では、“お友達”はなりふり構わず守る。崇高な志よりも、トップにいる自分との近さで人を選り分ける、そういう感覚による政治運営が見えるのです。そしてトップはたくさんの“お友達”や“支持者”によってガードされている(気まぐれ発言で振り回された人が何人いることやら)。
でもそれって、トップが世襲制で軍事力を握れば、かの北の国の体制ですよね。軍事力は、他国へも向けば、自国民にも同等に向けられることは、他国の例がいくつもあります。防衛庁を防衛省に昇格させた政権の意図がそこにないとはいえませんよね。世襲の議員さんが幅を利かせている現政権だから、そんなよけいなところまで重ねて見てしまうんですよね。
ちょっと話が離れてしまいましたが、案里氏が現首相のバックアップで当選したうえで「日本を変えたい」というのを聴くと、今書いたような日本に変えたいのかな?と思ってしまいます。それだけは、ご免被りたい!
とまぁ、そんなことをビビッと感じましたので、書いてみました。
シトシトと雨が降り続く中で、完全休養をしていると、なんかいろんなことを考えてしまうな。r(^-^;) そういや、“みぞうゆう”の人が、国民は賢くなくていい的なことを言ってたことがあったな。いろいろ知って考える人が少ないほど都合がいいと思ってるんだろうな。