毎日が遺言

柿と通夜

 二つのお話。

 先日、職場に柿を持っていって食べてもらっていたら、一人の同僚が「オヤジが柿、好きなんですよね~」と言った。彼の“オヤジ”とは、同居の義父のことで、かねてから病気療養中なのだ。その義父が自宅に帰っているので食べさせてやりたいと言う。
 で、昨日色づきのいいのを20個ばかり持って帰ってもらったら、今日、「とても喜んでいました」と礼を言ってくれた。
 実は、彼の義父は食事もろくに摂れないほどの状態だという。「ところが、オヤジが『柿が美味しい』と言って3個も食べてくれたんですよ! それを義母さんがすごく喜びましてね。食べられなかった人が食べることができたんですから。『ぜひお礼しないと!』って言ってました。ホントにありがとうございます!」と言ってくれた。
 返礼は丁重にお断りしたが、我が家の柿も、これほど喜んでもらえたら本望だろう。
 私も、少しは人の役に立てたかと、ホントにうれしい気持ちだ。

 夜は、通夜に行った。遠い義理の親戚でもあり、その人の娘さんの結婚に私の父親が少しばかり力を貸した、84歳の男性。父親と祖母の葬式に来てくださっている人だった。
 通夜の帰り道、車を運転しながら、柿を喜んでくれた病気の老人と、義理堅く葬式に足を運んでくれた老人と、私が会ったこともない二人のことを思った。
 病気の老人も、娘婿が持ってきてくれた好物を、きっと喜んでいただろう。血のつながりのあるなしにかかわらず、家族の心遣いをきっと感じて、余生を過ごせる幸せがあるんだと思う。では、亡くなった人は、柿の人のような歓びを、亡くなる前に経験したんだろうか? 根拠はないが、通夜の席で焼香客に頭を下げる家族の人たちの表情が、悲しさやさびしさを感じるものの、とても穏やかだったから、たぶん、亡くなった人は優しい家族の中で、きっとうれしいことを感じて亡くなっているんだろうと思う。
 ウチの場合、祖母は家族だけでなく、家を出ている娘たちの世話を受けつつ、100歳という“目標年齢”を達成して亡くなったから、満足だったろうと思うが、父親はどうだったのかなぁ… 感謝の思いを感じ取ることはあったが、何かひとつ、「これはうれしいなぁ」ということを思い出にしてやりたかったという後悔が、やっぱりある。
 もう2年、80歳まで生きさせてやりたかったなぁ。
 母親には、家族というものなかで、何か喜ばせてやりたいものだと思うのだ。
 まぁじっさい、憎まれ口を叩かれたりすると腹が立つんだけどね(笑)。

コメント一覧

みらパパ
http://yaplog.jp/mirapapa/
亡くなる前にうれしい思いをさせてあげられるかどうかって、生きている者には大きいことですよね。
そういうふうにして亡くなった人を時折思い出せるってことが案外大切なことなのかも知れません。
私も、ひとつの柿が、いろんな人への思い出を起こしてくれました。
aioi
ああ、そういえば、伯母が亡くなる前、わたしの母が「おばちゃん、いっぺんメロン食べたいって言うてたから」といって当時はまだ高価なメロンを買っていったことを思い出しました。

伯母はその場ではメロンを食べませんでしたが、メロンをゆっくり味わえたでしょうか。
いろいろ、思い出しちゃったよ{りんごちゃん}
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