毎日が遺言

元気が出なくなる話でスミマセンが

 昨日、矢の刺さった奈良公園の鹿が発見され、保護されたが、今朝、死んでいたというニュースがあった。
 奈良公園の鹿は春日大社の神鹿(しんろく)=神の使いとされてきた。昔は、隣接する興福寺の管理下にあったらしいが、今はどういう扱いかは知らない。ただ、この神鹿は文化財に登録されているとかで、この鹿をボーガンで撃った大バカ者は、文化財を破損した罪に問われるそうだ。
 内心、「生きてる動物に文化財はおかしいだろ!」と思いながら、「それにしても、市民が守っている命をもてあそぶ罪が文化財の破損だとは、あまりに軽すぎる!」と、さびしい気持ちになった。
 遊びで命を奪う行為の愚かさは言うまでもないが、なにより、犯人の心のやせ細り方を思うと、さびしくて仕方がない。なんと情けない社会なんだろう、わが故郷は。
 先日は、子供を虐待して殺した愚か極まりないバカ親がいたが、わが故郷奈良で、こういう心さびしいニュースを聞くのは耐えられない気持ちになる。
 一方、アメリカでは、トヨタのプリウスにからんで、ウソを使って金儲けを企てる愚か者が(大学教授まで手を貸したという!)いるニュースも聞く。アメリカのこういう愚かさは、ずっと前から続いているし、こういう尊大で、金に心を奪われて、厚顔無恥な人間の姿は、アメリカのマイナス面として、皆さんが知るところだろう。
 アメリカのこういう面には、日本という風土が大切にしてきた、人の心を汲むという精神や態度は見当たらない。
 日本の社会も、もう何年も前から、だんだんそれに近づいている気がする。昨今、その傾向が強くなっている気がするのだが、どうだろうか?
 なんとも楽しくない話で申し訳ありませんでした。ちょっと愚痴ってみたかったのです。m(_ _)m

コメント一覧

みらパパ
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#ff6600>ひよこさん</色>
そうなんです、ホントに心の貧しいバカがいるものです。
でも、バカが育った社会は私たちが作っている社会なんですよね。
私も自分の中のバカに気付かされてきたように、今度は私が気付いてもらえる社会のひとりでありたいと思います。
私は、日本の美徳として大事にされてきたはずの「慮り」が衰えているように思っています。
心を遣る対象が多いほど、人として大事なものが守られる社会になるんじゃないかなぁと思うんですよね。
同じような気持ちで、農作業も頑張りたいです。{ガッテン}

> <色:#cc0066>BBさん</色>
そうですね~、私はいつなんだろう?
幼いころは、生活も家族一人一人も、笑いが少なく、汲々としていたものです。
ただ、「人様のものに手をかけること」が人として恥であるということはきっちり教わったように思います。
面白半分に、生き物を殺しましたが、その命を、人様のものという感覚でとらえられたときから、命に対する感覚が変わったようにも思います。
暴力的な大人も多くいましたが、「これだけは守らないといけない」という不文律みたいなものが社会にあったんじゃないかな。
だから、いくら自分が苦しくても、大事にするところは大事にする、みたいな感覚があったのかもしれません。
今の、アメリカ的「自分が自分が!」意識が、これらの事件の殺伐とした感覚に通じている気がしてなりません。

> <色:#ff0000>まぁメイド☆さん</色>
そうなんです、死んでしまったんですよ…
私も、何ができるかを考えているところです。
みらパパ
http://yaplog.jp/mirapapa/
みなさん、たくさんのご意見をいただき、ありがとうございます{YES}

> <色:#cc0066>はなさん</色>
そう、「変{超びっくり}」ですよね。
ただ、「変」と感じる境界線というか規準というか、そういうものが変わってきているように思います。
いや、バラバラになっているというべきか、好き勝手になっているというべきか…
なんだか“人間らしさ”をきちんと思い返したいですね。
野菜や木とも会話しながら過ごしたいです。

> <色:#ff6600>ひまわりニコニコさん</色>
お互いの前向きな心のやり取りが減っているのかなぁ。
社会的に許容してはいけない感覚がはびこり始めているのかもしれません。
ちゃんと心をやり取りしたいですね、
それが当たり前の社会であってほしい。

> <色:#ff0000>さんたろさん</色>
私は「謙遜は美徳」と教えられましたが、若いころは反発していました。
大事なことまで主張できないと感じたからです。
「優柔不断」は、私の中の変えたい部分でした。
ただ「謙遜」にしても「優柔不断」にしても、常にそうであることを前提として評価されていたように思います。
もちろんそうじゃありませんよね。
人として互いに安心して生きる人間関係や社会を作るために、TPOに応じてそれは大事にされなければならない。
そこのところが、どうも通じにくくなっているように思うんです。
やはり、思いを出し合い、耳を傾け合う風潮を作ることが大切でしょうね。

> <色:#ff0066>Wantaさん</色>
そうなんです。
潤いやつややかさや柔らかさのある心が感じられません。
ホントに心さびしい話ですね。
まぁメイド☆
こんばんは。

 あの 鹿さん 死んじゃったのかぁ○o。.
哀しい事件です。
 自分は何をしなければ ならないのだろう?
ちと 考えてしまいます。
ではでは(^_-)-☆

BB
このお話を読んで、そういえば、命の尊さを私はいつ知ったのかな?

そう思って思い返すと、そこには小さい動物(インコ、にわとり、犬、猫)を飼っていて、ともに暮らしていくうちに愛情が芽生え、亡くなったときには、心から寂しい気持ちになったという記憶があります。

お金がないから、ペットなんて飼えない。子供も一人でいい。
同じ、「お金がない」時代でも、昔は心にゆとりがあったように思います。

今はゆとりがないですよね。


自己犠牲って感じないですよね。

一番は自分。自分さえよければいい。

そんな人に出会うと、自分の心がそうだったのかなと思ってしまいます。

誰かのために何かをしてあげることも、見返りを当てにしてやってあげるなら、同じこと。

最近、ものすごく田舎で海だけ入ってたい気分です。

ひよこ
http://yaplog.jp/hiyoko618/
そうでしたか…。
そうでしたか、というのはテレビのない生活で、最新の世間情報に疎いのと、新聞も日経なので、一般のニュースがよくわからないためです。
時折、矢の刺さった鴨や鳩、猫などが発見される事件がありますが、なんなのでしょうね。犯人のバカさ加減に呆れて怒る気も失せます。
世の中は嫌なことだらけだけど、私たちが出来ることは限られてますよね。世界中の飢餓の子供を救うことも、北極グマを温暖化から守ることも、犬猫の殺処分を無くすることも出来ません。それぞれが身近な、自分に出来ることを淡々とこなす以外にないのかなと思います。みらパパさんの農作業のように。
畑をすることは、自然にもまわりの生き物にも人間にも、循環の良いことのように思います
o(^-^)o
Wanta
そんな事件があったのですか。。。
ほんとに、すごく寂しい気持ちになります。
そういう事件多すぎて、ショックというより、寂しいです。。。
さんたろ
長い時間をかけてゆっくりと育てられてきた良くないものが、どんどん形になって出てきている気がします。

日本人の謙遜や優柔不断を「良くない」と学校で習いました。
でも今は思うんです。
日本人のそういう一歩引いて他人を立て、人との和を大事にする気持ちは素敵なものだと。
他人を気にしすぎると言うけれど、それが己を律する事につながり、それによってしっかりした社会が出来あがっていたんだよなぁと。

そういう日本の土台だった精神性が無くなったら、生きづらいなぁと思うんです。

ちゃんと教育できる大人が居る事、叱る事のできる大人がいる事、これがなくなったらと思うと怖いです。

しっかりした人がちゃんと声を上げていくことが大事だと思います。
自分自身頑張ろうと思いました。
なんで悪い事をするんでしょうね。聴いてみたいです。
ひまわりニコニコです
みらパパさんのおしゃるとおりだと思います{YES}
現実の嘆きを多くの人が気づいてくれると
もっといいんですけどね・・・
と 私も思います{ひまわり}
はな
ホント世の中に変{超びっくり}な人が多いですね

でもみらパパさんの様な人がいるだけでホッとします{スマイル}

お互い愛をもって野菜や人に接しましょう{スマイル}

じゃがいもの成長をまた教えて下さい
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ニュースから」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事