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芹沢光治良 『死の扉の前で 』 「吻として」

2023-12-05 11:29:00 | 日記
あるスピリチュアル系の方が作家の芹沢光治良についてYouTubeでお話しされていたのを見ていたら、どうも私の記憶している事実と違っています。
結核で死にかかったのはフランス留学時代だし、仏文学者でもないし、東大の教授にもなっていない。
記憶を確認するため、著書の『神の微笑』や略歴を確認してみると、フランスで学んでいたのは経済学で、肺炎で死にかけ、ルルドの水で救われたが、結核に冒されていることが判明して高地で安静療法をして帰国。
出向前の農商務省(現・経済産業省、農林水産省)に戻れなくなって、中央大学で講師として貨幣論の講座を教えたが、新聞に連載小説を掲載していることを学長が問題視したため退職…

これがきっかけとなって芹沢光治良の当時のことを知りたくなって天理教の真柱との交流が描かれている『死の扉の前で』を読んでいます。この時代の作家を読むと読めない漢字がよくでてきますが今回「吻として」が分かりません。
文脈はこんな感じです。
「ただその先生方のなかに、諸井慶徳さんがいたので吻としたのです。この人が教内きっての立派な学者であることを、機会ある度に京大で学んだ未弟から尊敬をもっていろいろ聞かされていたから、この学者と一晩ともに過すことができれば、偶然の幸福だと思ったのです。」
流れから行くと「ほっとして」としか読めませんが、国語辞典を見ても漢和辞典を見ても出てないし、Yahoo!知恵袋の「吻とする気分とはどのような気分ですか?」の回答も納得できません。
「ほっとする」としか読めないと思う用例を『精選版日本国語大辞典』で探してみると…

舗道雑記帖(1933)<高田保>ボーナス擬談
「ニウヨーク人が、女優脚線の上下を見て吻と救はれた気持になって」

読本・昔話稲妻表紙(1806)一
「手燭をはっしと打落し、吻(ホ)とため息つきもあへず」

やはり「吻として」は「ほっとして」でしょうね。