世の中には、自分の知らないことがたくさんありますよね~。
年を重ねていくと、様々な経験から理解に及ぶことが増えるのも事実。
でも流行りのものについていけなかったりと、年齢を重ねたからって
なんでも知ってるわけでもない。
また自分の知っていた知識が、時とともに変化しており
自分がその変化を知らずに、古い知識のままいる場合もあります。
そのために、色々と理解できないことが起こります。
それが人との関わりの中で起こると
理解できないと、反応として怒りが出たり、
信じられない思いになって悲しくなったりと
様々な感情に苛まれます。
相手を間違っていると責めたり、
相手のことが信じられなくなったり、
自分の感情に揺さぶられます。
ですがどれもこれも、自分が引き起こしているとは考えません。
原因が自分の理解が及ばないことにあるにもかかわらず
人を責めたり、責任転嫁したりします。
そうやって、起こる感情で自分を振り回し、
自分で自分を虐待するのです。
思い通りにならないという感情も同じだと思います。
思い通りにする=自分の理解に相手の考えを合わせてもらう
自分が一番正しいから、その自分の考えに合わせるのが当たり前。
そういう思いになっているのではないかと思うのです。
また人の体は、日々変化します。
どんどん年をとって、老化しています。
それを理解しているか否かでは、日常生活が断然かわります。
でも病気になると、そのことを忘れて元に戻そうと躍起になります。
治すのではなく、元に戻ろうとする。
だから感情が揺さぶられる。
治すというのは、完全に元のように戻るものばかりではないわけで。
完全に元に戻らなくても、日常生活に支障がなければ、
それでよしとする。
そういう柔軟な考え方も、我が身を助けると思います。
病気になっても元に戻らないのなら、損をした気分になるかもしれません。
でも病気になって経験した感情は、とても大事なものだと思います。
同じ病気になった人に寄り添えるので、新しい友人ができるチャンスが来ます。
そして仮にまた同じ病気になったとしても、最初の時より驚かない。
それって凄いことじゃないですか(笑)
年を重ねるということも、理解していかないとならないのだなぁと
常々思うのです。
理解している気になっているだけで、
決して理解しているわけじゃない。
理解が及ばないけれど、自分が知らないだけで
そういうこともあるのかと、柔軟な考えでいれば、
悩むことなどないのだろうなと思います。
あと理解が及ばないことって、その出来事に
パニックになっているのかなと思うときもあります。
初めて得る知識で、どう受け止めていいかわからない。
だから意識してないけど、パニックになっている。
理解が及ばない、かといって受け入れることもできない。
だとしたら、手放すしかないと思います。
潔く、その件から手を引く。
それも受け入れるということの一つだと思います。
自分が知らないと、それを馬鹿にされたくないとか
違う感情が出てくる場合があります。
それを知られないように、怒りが発生する。
人間というのは、繊細です(笑)
すべての出来事には原因があり、起きた理由があると思います。
その理由を聞かずして、起きた現象だけで判断すると
苦しむのは自分だけ。
これからは、コミュニケーションが大事な時代になっていきます。
疑問に思ったら、冷静に聞けばいい。
相手は人です。話を聞けばいいし、話せばいい。
理解が及ばないことは、これからもたくさんたくさん出てくるでしょう。
だから経験が大事になっていくのですから。
理解していないことは恥ずかしいことでも馬鹿だという証明でもありません。
ただ知らないだけ。
なら、知ればいい。
物事の本質をしったら、もっと人は楽に暮らせる気がします。
今年は予想以上に暑くなっていたり、
明日からは雨模様が続く様子。
自然ほど、理解に及ばないことはないですね。
でもそれを受け入れる柔軟さで見ていきたいものです。
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