みさママ&こうへいの成長DIARY

☆☆30代後半でママになった「みさ」と2005年1月生まれ「こうへい」親子の成長記録です☆

父との最後の写真

2011-03-05 | 日常
久しぶりの投稿ですが、その間にいろんなことがありました。

1月28日。こうへいは無事6歳になりました。
誕生日プレゼントのリクエストは・・・
新潮社「日本鉄道旅行地図帳」全号が欲しい!

北海道から九州まで全12号。
かつて馬が引いていた軌道を始め
「鉄道」として登場したすべての路線と駅名を
詳細な地図と年表でまとめたムック本で、
すでに4冊は持っていました。

1冊680円と、それほど高価ではないため
両方の祖父母からカンパしてもらったお金を握り
誕生日の翌日、福岡市内の本屋さんを探し周った
もののなかなか集まらず、最後の1冊は
紀伊国屋書店で札幌の支店から取り寄せてもらい
2月11日、なんとか全号ゲット

その足で、博多駅から電車に乗り、2時間かけ実家へ
こうへいの背中のリュックの中には
「全部は重いから、何冊かにしなさい」と言う私を
押し切り、「じいじに全部見せたいから持っていく!
こうへいが絶対、自分で持つから」と約束した
11冊+1冊でパンパンに

こうへいの鉄道好きは、もともとは私の父の影響で
父は、鈍行列車乗り放題の「青春18キップ」で
日本中を旅することや、新しく開通した列車に
いち早く乗りに行くのが趣味。

私が3年前に入院していた時は
父とこうへい二人で電車で山口~福岡まで
何度か往復し、すっかり電車好きに。
おととし石川県に旅行したり
去年、鹿児島に旅行したりした時も
「おじいちゃんと孫」は大好きな列車に
たくさん乗れて、大はしゃぎでした。

そんな父が食欲不振を訴えたのが一年半前の夏。
検査の結果、小腸の一部の空腸という場所の癌が
見つかりました。
特殊な場所のため発見が遅れ
開腹手術を受けたものの、すでに癌は切除できず
とりあえず胃と腸をつなぐバイパス手術を受け
月に2度、抗癌剤治療のため3日間ずつ入院する
という生活になりました。
お陰で去年の春には旅行ができるほど回復し
みんなで鹿児島旅行を楽しみました。
先日日記に書いた「JR九州のCM」の写真も父が
撮影したものです。
また、暑い夏を乗り越え、11月初旬には
車を2時間以上運転してウチまで来たりしてました。
しかし、年末からだんだん食欲が落ち、
1月中旬、ついに医者から
「もうこれ以上抗癌剤治療を続けても意味が
 ありませんから」と治療中止を言い渡され
家族には
「あと1ヶ月がヤマです」と言われていました。

でも不思議なほど痛みはないようで
本人は「こうへいのランドセル姿を見るまでは」
「桜が咲くまでは」と、
トイレが不安で散歩ができなくなった最近は
ウォーキングマシンを購入して、体調が良ければ
少しでも体を動かしていました。

この日も、食欲がなく体力も弱っていた父ですが
こうへいが抱えてきた「日本鉄道旅行地図帳」を
「すごいね~」とパラパラめくりながら
記念写真に写ってくれました。

2月13日までの3連休を実家で過ごした3日後の
2月16日の夕方、母から電話が入りました。
「お父さんがウォーキングマシンで歩いていて
 急に苦しがったから、救急車呼んで病院に運ばれた」
とのこと。
そして同21時過ぎ
「容態が急変したから家族を呼んで」と。
こうへいはすでに寝ていたので、すぐの出発はあきらめ
家で祈っていたものの
夜中の1時20分、眠るように旅立ったそうです。
救急車で運ばれて半日後のことでした。

後日、担当の医師からは
「癌患者さんは最後は大変な痛みで苦しむ方が多い
 ですが、失礼ながら、理想的な亡くなり方です」
と言われたそうです。

また葬儀には
「高校時代からのお友達」とおっしゃる方々や
元職場の同僚、ご近所の方などたくさん来て下さり
「お父さんとはよく旅行に行ったよ」と
語って下さったり
「お孫さんが可愛くてたまらなかったみたいで
 あなたのブログを紹介されて、読んでますよ」
とおっしゃる方もいらっしゃったので
こんな写真を載せるのはどうかな・・
と思いましたが、この場で
「最後まで気丈に生きた」報告をさせていただきます。

介護疲れしていた母も、ずいぶん明るくなってきてます。
実は急変した2月16日は、母の誕生日であり
「最後の誕生日プレゼントだったのかも」
と話しております。

文章が長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき
ありがとうございました。