てまえみそ日記

布ぞうりを作ったことやその他のことなどを記す。
年に一度はばあさんの手解きで味噌造りをしている。

秋風が こんこんぞうり 編めという

2019-08-31 | 布ぞうり
気持ちのいい朝です
秋を感じさせるような乾いた涼しい感じの風だ
足ふきマットもよく乾きそうだ
時折日差しが強く感じるときもあるが風が涼しいのでこんこんぞうりを編んでいても汗をかくことはなかった
今日も片足だけの練習をした
右はきのう編んだもの左は今日練習したもの

大きさはほぼ同じ今日は紐を一本減らした


源氏物語ー若菜(上)ー2

2019-08-30 | 
 やっと若紫(上)が読み終わった。お盆期間中、間が空いたので始めから読みなおした。明石の女御が東宮との間に男の宮を生んだ。将来は帝になること間違いない。望みが叶いあとは出家して迎えが来るのを待つだけだ。

 女三宮についてきた女房に少なからず不満があった源氏だが何もしないでいた。遊び相手にはよいが女三宮を守るとか、援けるとかできそうもないことを危惧していた。女房の不忠によって姫君や女主人が辱められてきたことを源氏は知っていながら何もしないでいたのは作者に狙いがあったからか。 例えば玉鬘は女房のせいで鬚黒の大将の妻にさせられた。他にも例はある。源氏が認めた女房を付けておけば女三宮に悲劇は起こらなかったかもしれない。その分物語はつまらないものになったはずだ。不届きな女房がいるから物語が面白いといえる。

 猫ブームは何時からあったのか。
 若い女房達は御簾ごしに若衆の蹴鞠を夢中で見ていた。子猫が急に飛び出してつながれた紐が御簾をめくり上げた。部屋の中が丸見えになり高貴な人の着る着物姿をみた。その時女三宮に違いないと柏木は覚った。飛び出した猫を抱きとると良いにほひがした。子猫を抱いているが女三宮を抱いているような勘違いをするほど猫好きになった物好きな奴。

 蹴鞠が終わると酒宴があり帰りは夕霧と一緒だが柏木はどの時点で猫を返したのか気になった。女三宮の代わりに抱いているから返したくはなかったはずだ。返す時の未練がまいしい情けない顔つきは皆にみられたらからかわれたと思うが作者は何も触れてない。読み手の想像に任せたのか、それはそれで面白く想像をしてみた。ここから柏木の狂気ともいえる恋煩いははじまる。 御簾がめくれた時に夕霧も女三宮を見た。柏木ほどの執着はないが気にはしていた、だが親父の目が黒いうちは知らんぷりをすることに決めていたに違いない。義母の紫の上にさえ会わせないほど用心深い父親だから。

 女房という側近が女主人を裏切る例は物語り中にある。いくつか思い当る。こういうのももののあわれというのか?
主人公は光源氏から次の世代に変わりつつあるような感じがしてきた。


稲光 ゴロゴロ草履に 変身か

2019-08-29 | ハンドメイド
 暑くなったり涼しくなったり遠くで雷鳴がなっているなと思ていると急にでかい音がしてざあーっと雷雨が来た。ひと雨降って涼しくなるかと期待しても雨はすぐに止んでかえって蒸し暑くなったころに片足の練習が終わった。
あまりひもで編んでいるから色柄がどうしたなんて気にしないことにしてる。
今日のこんこんぞうりの練習は甲を長めに幅広くなるように少し大きめに編んだ。


もう少し大きく作るには新しい治具が必要かな
誰がために こんこんこんと 木槌打つ こんこんぞうり 故郷の秋
ふるさとは遠くで思うか思われるか
それで思い出すのはアメリカにいる英世に送った母シカのたどたどしく書かれてあった手紙の「ハヤクカエッテクダサレ」が繰り返されて書いてあったのに感動したことを思い出した。


暑気去りて こんこんぞうり コンと打つ

2019-08-28 | 布ぞうり
 ほぼ一か月、久しぶりにこんこんぞうりを編んでみた。凌ぎ易い日になったので作業をしても暑いということも無くなってきた。前に編んだときの片足分が残っていたので午後から編んだ。
 今日編んだ片足
 左が今日の練習品、右はちょっと前に練習したもの
同じく編んでもつまらないから少し変えた。
一月ほど間が空くとなんかおかしい感じがしたが楽しく編むことができた。

この冬に 履いて欲しいな あの人に 編んで楽しき こんこんぞうり
喜んで履いてもらえると励みになってもっといいものを作ろうという気になるものだ。




歌仙は愉しいか

2019-08-27 | 
「歌仙の愉しみ」大岡信、岡野弘彦、丸谷才一、岩波新書。始めと終わりだけ読んだ。
丸谷才一の前書きに謂う。連句の発句を独立させ文学芸術に変容させた。正岡子規の否定論のせい、でその娯楽性遊戯性が捨てられて日本近代文学がつまらなくなったと。 難しいことはわからないが連歌、俳諧の愉しみが庶民凡人から奪われたことになる。子規に睨まれただけで連歌俳諧が廃れるとは当時の宗匠名人のなんとだらしないことか。ぬるま湯につかり革新できないほどレベルが下がっていたのだろうな。
 正岡子規の「古池の句の弁」に有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の真価を知るには俳諧史を知るにしかず、俳諧史を説かんとするにはまず連歌を説かざるべからず。といへり、と。発句だけ残して俳句になったと。歴史について少し触れているところがあった。衰退した理由がわかったような気になった。
 3人が巻いた歌仙を二つばかり読んだが面白そうでもありばかばかしくもあり。仲間内が集まって一巻上げるその過程はそれはそれで楽しいに違いない。蕎麦屋の二階で巻いたのなら酒などをいただきながらだろいから楽しいに違いない。
 あのような親父ギャグや連想ゲームみたいなものでも前後がつながっていればいいなら庶民凡人でも十分やれそうと思う。新聞や週刊誌に短歌俳句川柳のたくさんの読者と作者がいるのだからちょいと音頭をとるものがいたら愉しい遊びが増えるかもしれない。絶滅させてはいけない日本の伝統文藝ではないかと思うが。

八  親方、近頃新しい道楽にはまってるンだってね
親方 おう、むかしは飲む、打つ、買う、だったが今じゃ 飲む、打つ、巻くってんだ
八  なんですその「巻く」ってのは、管でも巻くんすか?酒癖悪いから
親方 なんだとお!、巻くったってな管巻いたり手巻きずし巻くんじゃねえんだ。
   蓮歌を巻くんだ覚えとけ
八  あんな硬え物(レンガ)が巻けるんですかい
親方 あたりめえよこんこんちきめ、頭が柔らきゃ、難だって巻けんだ。
おかみさん  驚いたよお、わけのわからないものを巻くようになったらこの 頭が柔らかくなっちまってこないだなんか豆腐の角に頭ぶつけたら頭がへこんでるんだよ、干瓢で鉢巻きしたらくびれてるんだよ。近頃では角が取れて人間が柔らかくなったねえなんて言われんのさ。
八  尖んがってる角も取れますか
親方 おお取れるとも、おめえのドラ息子にやらせてみろ、連歌を巻けばあおり運転もしないし戦争して島捕り返そうなんて言わなくなるかもしれねえぞ


暑い時に本など読むものではない

2019-08-20 | 
お盆のころに昔読んだものを読み返してみた
12,3年前の「連歌とは何か」綿貫豊昭著講談社選書を取り出して汗を拭きながら読み通した。以前よりは興味を持って読んだように思う。今川了俊なる連歌師が我が子に残した「了俊一子伝」に「連歌稽古のこと。・・・正道は学び難く、外道は学びやすしとなり」。同書に「・・・学ばずして物の上手いまだ聞かざる事なり」。優れた指導者のおもむきがあると著者。連歌はともかく、よくよく吟味してみるかなと思う。
 福島県からも連歌師が出ているとあった。猪苗代兼載について紹介あり。猪苗代家関係文書にある和歌門弟契約状が面白く感じた。
 その後、「歌仙の愉しみ」をビールを飲みながら手にした頃にはお盆も過ぎて暑さも一段落かと凌ぎ易くなった。
 連歌と聞いてレンガを思うのがほとんどのようだ。猫又が出たと驚いて川に法師が落ちた話は連歌で景品を貰っての帰りだったと徒然草にあるそうな。当時の人たちの愉しみでもあったのだろうなと思う。
 それで、連歌とは何だったのか、その愉しさはまだよくわからない。


いっぱつで ファイトハツラツ 甘酒は

2019-08-08 | 日記
 ミキサーにいろいろ入れて混ぜると滑らかになっていいのだが後の洗いが面倒になるから最近はあまりしなくなった。液体同士ならコップの中で混ぜても同じになるから。
今日の昼飯には昨日完成した甘酒と牛乳とトマトジュースと入れたところに氷を入れる。混ぜたら簡単にスムージーになる。これをいただいた。 今日の昼飯は漬物定食だ。真夏はこれが一番いい。これに奴豆腐などが付いたら申し分ない贅沢な昼飯である。これにスムージーが付いたのだから、昼寝をしたらファイトハツラツ間違いなし。
 細道に 茶店あったか 甘酒は
福島のしのぶもち摺りの石を訪ねた後、飯塚に泊まる。蚤蚊に刺されて眠らず。持病が起きたので馬に乗って桑折の駅に行ったとある。体力を消耗させる旅のとちゅうに冷えた甘酒などがあったら元気になったろうと思った。
 蚤で思い出す蚤虱馬の尿する枕もとはもっと先の出羽の国に入る関を超えたあたりのこと。


清閑を 楽しむほども 金はなし

2019-08-05 | 日記

 芭蕉が福島県を通って330年になるのを記念して地元紙が連載してる記事を毎週楽しみに読んでいる。奥の細道は知っているが読んだことはなかったのでこれを機に読んでみた。新聞ではちょうど須賀川に一週間ほど滞在した時のことが書かれているがやっと白河の関に着いたところまで読んできて間もなく新聞に追いつくところだ。紀行文というよりは旅のメモ書きみたいに思われた。野ざらし紀行や笈の小文などにもあったがなにから引用してあるのかを知らないと楽しめない。当時の文人の間では「共通の教養」があったから通じたのだろう。
 嵯峨に遊び去来の落柿舎にしばらく滞在した時、舎中に用意したものが白氏集、本朝一人一首、世継物語、源氏物語、土佐日記、松葉集、その他文具や酒器をそろえて「我貧賤を忘れて清閑に楽しむ」だという。さすがプロの徘徊師。この程度の教養は当時としては常識だったのか。
野ざらしの 覚悟を伴に 道が奥


源氏物語ー若紫(上)ー2

2019-08-04 | 
 朱雀院が出家した。多くの女御や更衣が離れ離れになる。朧月夜は尼になろうとするが諫められて断念する。院について行くことはできない、いわゆる後家になってしまった。 そんな状態を見計らってか源氏は朧月夜の尚侍を訪ねて行った。およそ15年ぶりの再会である。突然の来訪に戸惑うが邪険に扱うこともできず面会する。朧月夜は気高く美しく若々しい。初めて逢った時より新鮮で美しくとても情愛深いと思った。若いものが持つような気持ちは持ってないと言うが、空が明けていくのが惜しく再会を約束してやっと帰っていった。
このあたりのことを晶子は「・・・復活した情事を他に漏らすべきでない・・・」と訳している。15年も過ぎているのにまだそんな気持ちがあるとは長く火種は残っていたので、やけぼっくいに火が付いちまったか。
1000年前の40歳は老人かなと勝手に思うが情事が出来る健康状態なのか。疑問。
 ところでこんなことを思い出した。これを知るものはこれを好むものに如かず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず。これを好色に置換すると歳は関係ないのかなと思えてきた。熱署のせいで下種なことを書かされてしまった。