てまえみそ日記

布ぞうりを作ったことやその他のことなどを記す。
年に一度はばあさんの手解きで味噌造りをしている。

源氏物語ー若菜(下)2

2019-10-09 | 
 柏木が女三宮の寝所に忍び込み強引に関係すること度々。手紙が見つかり不義密通がばれた。体は日ごとに変化し懐妊してることがわかる。ある夜の宴に酒を強いられた柏木は源氏のパワハラに耐えられず寝込んでしまった。
 若菜を読み終わって様々に想像してた時、「紙入れ」という落語を思い出した。
旦那の留守に出入りの若い衆の新吉を呼び、さてこれからという時に帰るはずのない旦那が帰ってきた。急いで新吉を帰したが旦那からもらった紙入れを忘れてきたから心配だ。しかし、間男しようっていうおかみさんだからそこは抜かりなく、旦那にばれずに済んだ。
深窓の令嬢育ちにそんな芸当は思いもつかないだろうし、源氏が来てるところに手紙をやる柏木も間抜けだ。旦那は大様な人だから気が付かないが源氏はマメで気配りが出来るから見逃さないだろうな。
 新吉・・・柏木  おかみさん・・・女三宮   旦那・・・源氏 に見立てるとこれは面白いなと思った。
落語のほうはバレなかったが物語はばれて、柏木は馬鹿だなあ。
 しかし源氏だって父親の後妻に執拗に関係を迫って出来た子供が父の実子として後に帝になった。これは父親は知っていたのかいなかったのか書かれていないから想像するしかない。源氏物語には書かれていないところを想像する面白さがある。
 こんなことを書いていたらニュースで藤原定家が校訂した源氏物語「若紫」の写本が発見されたと報じていた。さて、本物はどこだ。


源氏物語ー若菜(下)

2019-10-05 | 
 源氏が最も愛してる紫の上が急に胸が苦しくなり息も絶えんばかりになったと聞いて急ぎ戻り名のある修験僧を集めて平癒の祈祷をさせた。物の怪が付いていることがわかり死んだはずの六条の御息所の死霊だった。六条の御息所はもう出てこないと思っていたが意外な形で表れてきた。これまでは生霊として二人にたたっていずれも死なせる強さがあった。一人目は人妻夕顔。二人目は源氏の妻葵上。六条の御息所は24歳源氏17歳ごろに関係ができたらしい。
浮気をした源氏より、浮気相手に取り付き女が苦しむことで源氏を苦しめる。女を死なせるほどの強い怨念をもっていたとは。夕顔が死ぬ時の様子は気持ち悪く感じながら読んだことを思い出した。夕顔は幼子(後の玉鬘)一人残して死んでしまった。
 二人目の葵上は源氏の子供を産んだことが気に入らなかったのか。これは苦しみながら死んでいった。生霊が取り付き苦しむ女の回りで修験僧が祈祷する辺りを想像するとまるで怪奇小説のようだ。夕霧は母親の顔を知らないで育った。3人目の紫の上は源氏との寝物語をあの世で聞いて気に障り苦しめるためにこの世に出てきた。生きてる時も死んでからも人にとりついて死なせるとは(紫の上は苦しんでいるが死んでない)なんと女の怨念は恐ろしいものか。このあたりだけ読めば「世にも恐ろしい源氏物語」になる。年上の女を持て余し疎んじて恨まれる原因を作った源氏に直接恨み苦しめないところがわからない。同性にはわかるのだろうか?紫式部の意図は何だったのか。
 女が怖いという話といえば高祖劉邦の愛人戚夫人を正妻呂后が殺した時の殺され方が思い出巣だけで鳥肌が立ち気持ち悪くなる。もう一つ怖い話を思い出した。むかし王様が新しい愛人をつくり正妻に逢わせて奥向きのことを教えさせて王の前に出るときは鼻を覆いなさいと教えた。王は正妻に言った、今度の娘はわしの前に来ると鼻を覆うがどういうことだ。王の匂いが嫌だからです。鼻切の刑に処せよ。戦国策にあった怖~い女の話。

 今日はよく晴れ暑かった、明日もまた晴れるだろう。
夕焼は御息所の腹いせか


源氏物語ー若菜(上)ー2

2019-08-30 | 
 やっと若紫(上)が読み終わった。お盆期間中、間が空いたので始めから読みなおした。明石の女御が東宮との間に男の宮を生んだ。将来は帝になること間違いない。望みが叶いあとは出家して迎えが来るのを待つだけだ。

 女三宮についてきた女房に少なからず不満があった源氏だが何もしないでいた。遊び相手にはよいが女三宮を守るとか、援けるとかできそうもないことを危惧していた。女房の不忠によって姫君や女主人が辱められてきたことを源氏は知っていながら何もしないでいたのは作者に狙いがあったからか。 例えば玉鬘は女房のせいで鬚黒の大将の妻にさせられた。他にも例はある。源氏が認めた女房を付けておけば女三宮に悲劇は起こらなかったかもしれない。その分物語はつまらないものになったはずだ。不届きな女房がいるから物語が面白いといえる。

 猫ブームは何時からあったのか。
 若い女房達は御簾ごしに若衆の蹴鞠を夢中で見ていた。子猫が急に飛び出してつながれた紐が御簾をめくり上げた。部屋の中が丸見えになり高貴な人の着る着物姿をみた。その時女三宮に違いないと柏木は覚った。飛び出した猫を抱きとると良いにほひがした。子猫を抱いているが女三宮を抱いているような勘違いをするほど猫好きになった物好きな奴。

 蹴鞠が終わると酒宴があり帰りは夕霧と一緒だが柏木はどの時点で猫を返したのか気になった。女三宮の代わりに抱いているから返したくはなかったはずだ。返す時の未練がまいしい情けない顔つきは皆にみられたらからかわれたと思うが作者は何も触れてない。読み手の想像に任せたのか、それはそれで面白く想像をしてみた。ここから柏木の狂気ともいえる恋煩いははじまる。 御簾がめくれた時に夕霧も女三宮を見た。柏木ほどの執着はないが気にはしていた、だが親父の目が黒いうちは知らんぷりをすることに決めていたに違いない。義母の紫の上にさえ会わせないほど用心深い父親だから。

 女房という側近が女主人を裏切る例は物語り中にある。いくつか思い当る。こういうのももののあわれというのか?
主人公は光源氏から次の世代に変わりつつあるような感じがしてきた。


歌仙は愉しいか

2019-08-27 | 
「歌仙の愉しみ」大岡信、岡野弘彦、丸谷才一、岩波新書。始めと終わりだけ読んだ。
丸谷才一の前書きに謂う。連句の発句を独立させ文学芸術に変容させた。正岡子規の否定論のせい、でその娯楽性遊戯性が捨てられて日本近代文学がつまらなくなったと。 難しいことはわからないが連歌、俳諧の愉しみが庶民凡人から奪われたことになる。子規に睨まれただけで連歌俳諧が廃れるとは当時の宗匠名人のなんとだらしないことか。ぬるま湯につかり革新できないほどレベルが下がっていたのだろうな。
 正岡子規の「古池の句の弁」に有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の真価を知るには俳諧史を知るにしかず、俳諧史を説かんとするにはまず連歌を説かざるべからず。といへり、と。発句だけ残して俳句になったと。歴史について少し触れているところがあった。衰退した理由がわかったような気になった。
 3人が巻いた歌仙を二つばかり読んだが面白そうでもありばかばかしくもあり。仲間内が集まって一巻上げるその過程はそれはそれで楽しいに違いない。蕎麦屋の二階で巻いたのなら酒などをいただきながらだろいから楽しいに違いない。
 あのような親父ギャグや連想ゲームみたいなものでも前後がつながっていればいいなら庶民凡人でも十分やれそうと思う。新聞や週刊誌に短歌俳句川柳のたくさんの読者と作者がいるのだからちょいと音頭をとるものがいたら愉しい遊びが増えるかもしれない。絶滅させてはいけない日本の伝統文藝ではないかと思うが。

八  親方、近頃新しい道楽にはまってるンだってね
親方 おう、むかしは飲む、打つ、買う、だったが今じゃ 飲む、打つ、巻くってんだ
八  なんですその「巻く」ってのは、管でも巻くんすか?酒癖悪いから
親方 なんだとお!、巻くったってな管巻いたり手巻きずし巻くんじゃねえんだ。
   蓮歌を巻くんだ覚えとけ
八  あんな硬え物(レンガ)が巻けるんですかい
親方 あたりめえよこんこんちきめ、頭が柔らきゃ、難だって巻けんだ。
おかみさん  驚いたよお、わけのわからないものを巻くようになったらこの 頭が柔らかくなっちまってこないだなんか豆腐の角に頭ぶつけたら頭がへこんでるんだよ、干瓢で鉢巻きしたらくびれてるんだよ。近頃では角が取れて人間が柔らかくなったねえなんて言われんのさ。
八  尖んがってる角も取れますか
親方 おお取れるとも、おめえのドラ息子にやらせてみろ、連歌を巻けばあおり運転もしないし戦争して島捕り返そうなんて言わなくなるかもしれねえぞ


暑い時に本など読むものではない

2019-08-20 | 
お盆のころに昔読んだものを読み返してみた
12,3年前の「連歌とは何か」綿貫豊昭著講談社選書を取り出して汗を拭きながら読み通した。以前よりは興味を持って読んだように思う。今川了俊なる連歌師が我が子に残した「了俊一子伝」に「連歌稽古のこと。・・・正道は学び難く、外道は学びやすしとなり」。同書に「・・・学ばずして物の上手いまだ聞かざる事なり」。優れた指導者のおもむきがあると著者。連歌はともかく、よくよく吟味してみるかなと思う。
 福島県からも連歌師が出ているとあった。猪苗代兼載について紹介あり。猪苗代家関係文書にある和歌門弟契約状が面白く感じた。
 その後、「歌仙の愉しみ」をビールを飲みながら手にした頃にはお盆も過ぎて暑さも一段落かと凌ぎ易くなった。
 連歌と聞いてレンガを思うのがほとんどのようだ。猫又が出たと驚いて川に法師が落ちた話は連歌で景品を貰っての帰りだったと徒然草にあるそうな。当時の人たちの愉しみでもあったのだろうなと思う。
 それで、連歌とは何だったのか、その愉しさはまだよくわからない。


源氏物語ー若紫(上)ー2

2019-08-04 | 
 朱雀院が出家した。多くの女御や更衣が離れ離れになる。朧月夜は尼になろうとするが諫められて断念する。院について行くことはできない、いわゆる後家になってしまった。 そんな状態を見計らってか源氏は朧月夜の尚侍を訪ねて行った。およそ15年ぶりの再会である。突然の来訪に戸惑うが邪険に扱うこともできず面会する。朧月夜は気高く美しく若々しい。初めて逢った時より新鮮で美しくとても情愛深いと思った。若いものが持つような気持ちは持ってないと言うが、空が明けていくのが惜しく再会を約束してやっと帰っていった。
このあたりのことを晶子は「・・・復活した情事を他に漏らすべきでない・・・」と訳している。15年も過ぎているのにまだそんな気持ちがあるとは長く火種は残っていたので、やけぼっくいに火が付いちまったか。
1000年前の40歳は老人かなと勝手に思うが情事が出来る健康状態なのか。疑問。
 ところでこんなことを思い出した。これを知るものはこれを好むものに如かず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず。これを好色に置換すると歳は関係ないのかなと思えてきた。熱署のせいで下種なことを書かされてしまった。


源氏物語ー若紫(上)

2019-07-27 | 
マラソンでいえば折り返し点を過ぎたあたり。いつになったら読了するかわかったものではない。
朱雀院の女三宮はどんな宮か
 小さくきゃさ、着物の中にすっぽり入っている
 未熟で幼稚、思ったことをすぐ口にする
 おっとりして筆跡が幼稚だ
夜、三日間通うことで結婚が成立したが暗いから様子がわからなかった
五日目に昼行ってみたたところ源氏はようやく気が付いた、これではとても見捨てることなどできない(畏れ多いことだ)、15歳とは思えない心身の成長の遅れを感じさせられた。
 朱雀院が女三宮にだけ早く後ろ身を付けようとする理由がわかった。病弱であり出家を望んでいるから自分がいなくなった後のことを大変心配するわけだ。高貴な家の娘でも悪い男にだまされたり不届きな侍女の手引きでそそのかされて辱めを受けるというようなことが起きないようにしっかりとした後ろ見になるような婿を選びたかった。こんなふうな親の心配は当たってしまうものなのか。
 源氏にしても姿を見てびっくりしたのは末摘花に続いて2回目か。似たようなことは起きるものなんだ。世間が見れば申し分ない結婚に思うが見ると聞くとは大違い。
熱が冷めた感じがする。しかし、朱雀院が出家すると今までついていた尚侍や女房
などの身の振り方が気になってくるのは治らない好き心のせいか。もう40歳なのに。

台風が心配だが、今日も暑い、1000年前の都も暑かったのだろう。


源氏物語ー藤裏葉

2019-07-14 | 
 明石の姫君が東宮へ上がり夕霧が雲井の雁と結婚したことで当面の憂いは消えた。夕霧が雲井の雁と結婚したことを報告した時のこと、昔故桐壺院から忠告されたことを話す。
「さかしき人も、女の筋には、乱るるためしある・・・」その忠告は何時なんだ?。藤壺との関係が出来る前と後では解釈が変わって来る。
これと同じようなことが前の巻梅枝にもあったことを思いだした。「・・・女のことにてなむ、かしこき人、むかしも乱るるためしありける・・・」
賢い人でも女で問題を起こすことがある。(小指を立ててこれで会社を辞めましたという昔のCMを思い出した)これは自分のことを棚に上げ次に起こる柏木と女三宮の不倫の布石か。
 夕霧は父親に似ず堅物かと思っていたら、そうでもなっかたようだ。
結婚したことで、若い女房の召人になった者にはうらめしく思われ、惟光の娘籐典侍は公然ではないが妻妾の立場なのでただならず思っている。後に子供が出来る。
 男というものはばかだなあ。焼酎の水割りを飲みながら思うのであります。



源氏物語ー真木柱

2019-06-28 | 
 玉鬘を宮仕えさせることに決めたので喜んだ者から諦めた者がいる中で鬚黒の大将だけはどのように口説いたのか女房に手引きさせて玉鬘と結婚してしまったので源氏や帝は悔しがった。
 玉鬘は鬚黒の大将の妻になり翌年子を産んだが源氏はまだ諦め切れてなかったとは執着のほどが知れる。もう諦めてもよさそうだがどこから「執着心」がわいてくるのか。玉鬘に対する源氏のしつこいねっとり感は例えるなら炊き立てのご飯の上にかけたねばねば納豆の切りたいのになかなか切れない納豆の糸のようだ。
 正妻とは別居し子供たちも分かれてしまう不幸に見舞われた。中年になって若い女に入れあげてしまうのはどうかなと思う。が人生が短ければそれも仕方ないか。
歳月人を待たず、楽しみだけが人生か なあ

人それぞれに納豆のうまい食べ方があるようだ。
お勧めはてまえ味噌を入れ好みでねぎを入れるのもいい。
醤油や塩とも違った味噌納豆が楽しめる。


資治通鑑を読んだ

2019-06-27 | 
 2月ちくま文庫にあったのを見つけて難儀しながら読了した
文庫で600ページはたいへん長いが全体のごくごく一部だ。しかも読めない漢字が多いので辞書を引きながら読み通した。歴史書でありながら歴史小説を読んでいるような感じになるほど大変面白かった。
 資治通鑑を知ったのは吉川幸次郎著「漢文の話」のなかの歴史書の文章についてであった。卓越した名著であり、毛沢東も何度かの通読者であったと記されていた。読む機会はないと思っていたがたまたま見つけ衝動買いしたのがきっかけだった。
 ここには玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛し、安禄山の乱について書かれてあった。
楊貴妃が寵愛されるさまを見聞きして当時の人々のいうには「男を生んでも喜ぶな、女が生まれたとて悲しむな、君は今女を看て家門と作す」と。戦争は民を苦しめること甚だしく、安史の乱の前後にうたった杜甫の「兵車行」「石壕吏」など再読もした。
 史記や漢書などは現代語訳があるがこの資治通鑑は全巻の現代語訳がないのが残念だ。売れないから出版社も手を出さないのだろうか。
 資治通鑑の解説本があるにはあるが他者の二番煎じの解説を読むよりは短くても原書にあたり感じ、考えるのが読書の楽しみだろう。読むか否かの判断材料にしても。つまらないテレビドラマを見ないでこれを読んでよかったと思う。なので源氏物語が中断している。
もっと楽しむには地図を広げ世界史日本史の年表など見ながら読めば面白かったろうな