現地PINAとの関係は、この3年間ですっかり精算された。フィリピンに行くたびに後ろ髪を引かれやすい自分は、ついつい寄りを戻したりして、ズルズルと関係が続くため上手くも行かなかったが、コロナのお陰でその関係も自然に淘汰されてある意味さっぱりしたのかもしれない。
方や日本では元々ショータが出来ない。正直言おう。日本に在住のPINAを信用出来てないのだ。もちろん人による事は判っている。が、説明難しい。
私とフィリピンとの接点は実は80年代にあった。最初の就職先が新規事業で取り組む特殊機器販売の部品の製造加工所の工程管理の為に初めての海外出張があった。それがフィリピンだった。その時の話はまた機会を改めるが、何故かフィリピンの縁のある私だった。
時は流れて90年代後半まだ都内にもタレントがフィリピンパブにも居た時代、私は初めてのフィリピンパブに足を踏み入れる事になる。
当時の私は離婚と別居で心も身体も疲れていた。ちなみに離婚は日本人の嫁。日本人パブの女性と付き合ったり別れたり、忙しい仕事と離婚の調停で心も身体もクタクタだった。総武線のとある駅、以前通った日本人のパブの横の歩道上にそれまで興味の無かった、フィリピンパブの呼び込みのお兄さんが私に声を掛けて来た。『フィリピンパブ、いかがですかぁ~』。
※見出し写真は2014年撮IN錦糸町プラザイレブンビル
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