昔の話を思い出つつブログに書き込む事は意味あるとしみじみと思う。テレサをすっかり忘れた訳では無いが日常からテレサを思い出すわけではない。日本でもフィリピン現地でも、私はフィリピン人に出身地を訊く事が多い。「タガサアンカ?」稀に「ラグナ」の人に会うとふ~っとテレサの姿が浮かぶこともある。前回書き込んでもう一度テレサ思い出を呼び起こす事が出来た。もう語ることも無いかもしれないけれど。
突然だがカラオケの話だ。テレサと出会った頃の私は当然タガログ語も知らず、これと言って英語が得意と言う訳ではないので、スナックなどでは日本語の歌を歌って時には接待で高齢の役員さんなんかが居れば、ご機嫌取りに昭和の演歌や村田英雄の曲やら覚えて歌ったりもした。当時はテレサの店に行っても歌うのはJ-POPが主流だった。ちょうどその頃仕事でアミューズと福山雅治さんの関係の仕事をしており、ステージなど観させてもらっているうちに福山さんの声と歌に継投して、自分でも福山さんの曲をスナックや以前行っていたキャバクラの様なところでも歌っていた。他にはスピッツやシャランQだったかな。さてPパブ通いあるあるで、タガログ語の歌に挑戦する時が来る。当時のタガログ曲の一丁目一番地は「IKAW」。曲もゆっくりだし、第一フィリピンでの大ヒット曲だからピナさん達のウケに良いのだ。すっかり今は歌う事は無くなったが、DAMだと確かカタカナのルビが振られていて日本語読みで歌えた。その時点では歌詞のタガログはちんぷんかんぷんだ。この頃に段々フィリピンアーチストを知っていく。マーティン・ニヴェラ、ガレー・ヴァレンシアーノとか。特に当時人気のタレント、ランディー・サンチアゴ。ランディー・サンチアゴは当時チャンネル2の昼のワイドバラエティー番組「マガンダン タンハリ バヤン」のトップ司会者で日本で言えばタモリの「笑っていいとも」の様な人気司会者で人気歌手。私の当時のヘビーローテーションはHindi mag babago。
※IkawはMartin Nivera映像のCover Veresion
※Hindi mag babago映像はリバイバルで出演時のもので全盛時ではない。なおHindi mag babafoは私は新しい恋人は作らないと言う意味で、PINAの彼女が出来た人は言って欲しい。今でも通じるラブラブのタガログ語です。ちなみに当時はマニラに「Ratsky」と言う有名なRandy経営のコメディーバーがあった。Randyは斜視で常にサングラスをしておりまさに日本人ならタモリさんの様子。タガログで斜視はKiratsと言い差別用語。彼はKiratsをさかさま言葉でRatskyとして店の名前にしており、まさにハンディキャップをJOKEにする粋な人。