新 紫微斗数 星曜派 飛星派 欽天四化「宮立命 宮巫女」

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寿命を意識する年齢になって

2019年08月26日 | 占い 紫微斗数

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寿命を意識する年齢になって

 

私も若い頃には、死というものはなかなか受け入れられない恐ろしいものでした。

死というものは、その先は何もない【無】と感じていました。

【無】というものは得体の知れない恐ろしいものです。

 

親鸞聖人は幼少期(九歳)から死への深い疑問を抱いて、その疑問に囚われ、どうにも成らない程悩み抜いたそうです。

きっと親鸞聖人の命盤の「福徳宮」には【化忌】が在ったと思われます。それも同じ福徳宮に【D-D】などが在り、福徳宮は「破格(壊れている)」であったと思われます。

しかし、信仰の道に踏み込み何十年も様々な修業を重ねて三十歳代で解脱(悟り)され人生観がガラリと変わったようです。

福徳宮の【破格】は心の問題を抱えます。

 

私の福徳宮は「多重破格」です。【D-D】、【A-A】などが二つもあります。

このような状態は常にマイナス思考になりやすく、人生に対して希望など湧かないのです。

道端の雑草のように命が有るから、ただ生きている。そんな生き方でした。

そのために、人生を歩むために前向きで無くなってしまうので、荒唐無稽な生き方になってしまいました。

 

しかし、60歳代で「欽天四化の紫微斗数」に触れることが出来て人生は一変しました。

心に「解脱」が起こりました。

あの世と、この世の仕組みが見えてきたのです。

その結果、死は【無】でないということを実感するようになりました。

 

そのような考えが出来るようになって、ますます不思議なものを感じるようになりました。

 

多くの人たちの命盤を目にして、様々な人生を垣間見てきました。

この世には実に様々な人生を歩んでいる人たちがいるのです。

そのようなことも視野を大きく広げられるようになった一因でもあります。

 

人様の寿命も垣間見ることが幾例もありました。

当然、私自身の寿命も観てはいます。

普通は寿命などが判ってしまうと生きることへの希望を無くしてしまう人も多いと思います。

しかし、私は逆でした。

寿命が分かったことで、どのように生きなければ成らないのか、ということをジックリ考えるようになりました。

時間を無駄に出来ないと思えるようにもなりました。

 

また、あれもこれもと八方に手を広げることも辞めました。

人生に残された時間がたっぷり有るのならば、いろいろな事に挑戦してみたいですが、今の私はそんなことをしていたら虻蜂取らずになってしまいます。

一つのことに専念しようと思っています。

 

これまでの人生で、これでもか、という程に様々なことを体験できたので、もう充分です。波乱の人生ゆえに人様が体験できないようなことを多く経験出来ました。それが今の占いに役にたっています。

 

これからは寿命が尽きるまでの年月を計画的に過ごすことを考えています。

 

つまり年齢ごとに出来ることが変わって行くので、それに合わせて寿命までの人生計画を立てています。

 

今でなければ出来ないことは、今やります。

寿命近くで出来ることは後回しにします。

 

また、このように考えられるようになると、いつ「お迎え」が来ても良いように悟りも開けます。

突然の寿命が訪れても、この世に心残りは有りません。

と、言っても少しは気に成ることはあります。

 

それは、私自身の事では無くて、まだ救済中の人のことです。

その人が自立出来るようになるまでは、もう少し月日が欲しいです。

まあ、突然の(命盤のシナリオに無い)寿命は訪れないと思っていますが。

 

今となれば、私自身は自分の寿命を知ることが出来たことは大変に有難いことと感じています。

 

皆様もご自身の寿命を知って、人生を計画的に有意義に過ごせるように成れば、本当の幸せを得ることが出来るのではと思います。

 

ただし、底なしの欲望が強いと逆に辛いかも知れません。

いや、いや、逆に寿命が判れば、持ちきれない多くの欲望は、手放さなければ成らないと悟るかも知れませんね。

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