介護というには大袈裟ですが。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

寒くなると思い出だす あの人 (12)

2023-02-05 08:37:50 | 日記
浅草でのツネ師匠との最後の週末デートは、ああでもないこうでもないと、その後2時間位他愛のない話しをして終わった。
店を出たのは、まだ夜8時前くらいだったか、空は真っ暗であり、風は少しヒンヤリとしていた。
『どうします、もう一軒行きますか?』
私が彼に尋ねた。
『いや、少し疲れたから、解散しょう。』
『そうですか、わかりました。』
『今までありがとうな、これで吉原でも行けよ。』
そう言うと私にすっと一万円札を3枚手渡した。
『えっ、そんな、いいですよ。』
私が慌てて拒否すると、彼は少し怖い顔になり、『いいから、出したものは引っ込めないよ、受け取れ、お前不自由しているだろ。とっとけ。』
と半ば強引に私のポケットに一万円3枚をねじ込んだ。
そして私に彼は少し寂しそうに言った。
『あと1週間あるが、今まで楽しかった、ありがとうな。お前頑張れよ。』
『はい、ありがとうございます。』
彼は私の手をギュッと強く握ると、
『じゃな。』
と私と別れ浅草の街に消えていった。
その後ろ姿が妙に寂しくて、何かツネ師匠が遠くに行ってしまう感じがした。
『来週からも宜しくお願い致します。』
私が彼に言うと、彼は半分振り返り笑顔で手を振った。
彼と別れ、彼から貰った3万を持ち、吉原ではないが、鶯谷近辺の繁華街に行き、その日のうちに使い切った。




寒くなると思い出す あの人 (11)

2023-02-03 10:04:08 | 日記
フジヤマケンザンという競争馬は、実力の割に地味なイメージを個人的には持っていた。どうしても同厩舎のミホノブルボンの影に隠れる印象があったのだ。
(競馬に興味のない方は、本当に申し訳ありません)例えるなら同じ課に派手な同僚がいるような感じで、フジヤマケンザンは、その影に隠れるイメージだった。しかし実力はあり、仕事はキッチリやるタイプで、競馬ファンには配当的に魅力のある一頭だった。当時のフジヤマケンザンは8歳馬で競争馬としては、やや高齢で少しピークを過ぎたと思えた。そんなフジヤマケンザンと退職を控えたツネ師匠。
自らの境遇をフジヤマと重ね合わせた。
私はそんな気がした。
そしてそんなツネ師匠を少し可愛く思えた



寒くなると思い出す あの人 (10)

2023-02-01 06:44:40 | 日記
ツネ師匠との浅草での最後のデートはお互いに気を使いながら始まった。
本当は話したい事は沢山あったはずなのに、これが最後だと思うと妙に緊張して不思議な気分になった。そんな中彼がふと鞄から意外な物を出した。競馬新聞である。
昼間に会社を抜けて買ってきたというのだ。
私は競馬が学生の頃から好きで、先輩達と競馬の話しを沢山していた。とりあえず、野球と競馬の話しをしていれば先輩達に気に入られるという処世術もあったのかもしれないし、私の実家は地方競馬場や競艇場も近くにあり、ギャンブルは身近なものであった。しかしツネ師匠が競馬の話しをするのは意外だった。
『ツネ師匠、競馬されるんですか?』
『日曜のメインだけね。』
『そうでしたか、もっと早く言って頂ければ良かったのに。ところで明日は何からいくんですか。』
明日は中山競馬場で中山記念と言うレースがあった。
彼はひと呼吸おいて私に言った。
『あてにしないでくれよ、俺はフジヤマケンザンからだ。』
私は、なかなか渋いところを買うなぁと生意気にも心の中で思った。
(競馬を興味のない方、申し訳ありません。この話は、競馬抜きには出来ないので、暫しご辛抱ください。)



寒くなると思い出す あの人 [9]

2023-01-31 06:39:11 | 日記
ツネ師匠との週末のデートの日は、桜の開花まであと数日を感じさせる生暖かい風の吹く日だった。
浅草の夜は早いとはいえ、浅草についたのは夕方の5時手前であり、少しずつ日の入りの時間も遅くなり、まだまだ町は明るく、通行人も多かった。
浅草を降りると彼は国際通り方面に向かった。
私は浅草といえばロック座方面を行くものだと勝手に想像していただけに逆方面はほとんど知らずに少し意外だった。ロック通りに比べると落ち着いた感じの飲食店が並んでおり、大通りを横道に入った焼肉の店に連れて行ってくれた。
思い起こせば、この一年本当にツネ師匠には色々と飲みに連れてってもらった。どちらかといえばガヤガヤとした所を好み、台東区三ノ輪の鉄板焼きや錦糸町のフィリピンパプで、はしゃぐ事が多かった。
インテリのイメージのあるツネ師匠だが、飲んでいる時は別人格になり、明るく楽しい酔い方をした。
本当に楽しい新人時代を送らせてもらった。
当時は平日だろうが飲むのは日常茶飯事で、次の日を考えて早く帰宅するという発想が希薄だったのだ。
町はバブルが弾けた初期の段階で、少しずつ不景気の足音は確実に迫りそして大きくなってきたものの、まだバブルの余韻の残る時代だった。
町は活気があり人々は元気が残っていた。
出来れば後数年前に生まれていたら、バブルを数年でも味わえたのにと今になれば思うが当時の私は、これから先の不景気など、そこまで深刻に考えてはいなかった。


寒くなると思い出す あの人 [8]

2023-01-30 19:54:51 | 日記
突然のツネ師匠からの週末のデートの誘いは素直に嬉しく、また彼との距離を少し縮めるキッカケになった。よくよく考えてみると彼と働けるのは後2週間しかない。彼ともっと接触しないと勿体無いと感じたのだ。
私は退職を伝えられる以前ほどではないが、彼に声をかけ、彼も少し、ぎこちないながらも対応してくれた。
春の別れ前に、つかず放れずで良好な関係になった。と私は感じていた。
今にして思えば、不思議な、そして幸せな時間だった。
そして週末デートの日となった。
当時の我が社は土曜日は午後3.4時で帰宅していい慣習があり、私とツネ師匠は午後4時に揃ってタイムカードを押した。
『少し離れるが、浅草に行こう。』
私は浅草はあまり行ったことがないので、ツネ師匠に案内してもらえると思うと心が弾んだ。