風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「山崎城」城撮り戦果

2007年01月16日 | 城撮り物語
○山崎城址(松平広忠)安城市山崎長城跡

山崎城は天文12年(1543)に三ツ木城(岡崎市)の松平信孝が織田軍に通じており、岡崎城の松平広忠が備えとして築城した。
しかし天文18年、松平・今川連合軍が安祥城を攻撃した際に落城した。
その後天正13年(1585)小牧、長久手の戦いが起きると徳川勢により改修された。(説明板)
現在は「山崎神明社」の本殿の位置にあり、土塁の一部が残されており周囲は小高くなっている。
当時は周囲(南北90m、東西100m、高さ3.5mの土塁が方形に築かれた平城であった。

「安祥城」城撮り戦果

2007年01月16日 | 城撮り物語
○安祥城址(永享12年畠山一族の和田親平が築城)安城市安城町城堀
文名3年(1471)京都で応仁の乱が起きている時、岩津城主「松平信光」が諜略を用い戦わず攻め取る(城の近くで若者に綺麗な着物を着せ、盆踊りを行い、城の武士が見物に出た隙に城を占領)信光の子供「親忠」を城主とした、以後二代「長親」三代「信忠」四代「清康」と続き、その後織田氏との境界線に近いこの城を巡り、大永4年(1524)松平・今川対織田の間で10年近く激しい戦いが続き、桶狭間の戦い後、信長と家康の間に清洲同盟が結ばれ、本拠を岡崎に移し、安祥城は廃城となる。
現在は本丸址に大乗寺、二の丸跡に八幡社がある。