風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「大草城」城撮り戦果

2007年01月23日 | 城撮り物語
○大草城址(福岡新助)長久手町熊張溝之杁

大草地区はかって福岡氏の領地であったが、1563年には「丹羽氏」(日進岩崎城主)の所領となり、さらに1579年には森長可(森蘭丸の兄)の領地となった。
しかし長可は長久手の戦いで戦死しその後廃城となったと考えられる。
小高い尾根に作られた平山城で土塁・空堀が今でも残っている。
(大草の信号近くの小高い岡になっており、頂上の平地に熊野神社が祭られている)

「長久手城」城撮り戦果

2007年01月23日 | 城撮り物語
○長久手城址(加藤太郎右衛門忠景)長久手町長湫字城屋敷
弘治年間(1555~1558)頃瀬戸から落ちこの地に城を修築し移り住んだ。
加藤忠景は日進岩崎城主「丹羽氏」の娘と結婚しその縁で長久手合戦の折には家康軍に参加し、天正12年(1584)岩崎城の戦いで戦死し長久手城も秀吉軍の池田恒興軍によって焼かれ廃城となった。
当時は丘陵地であったと思われるが、現在は住宅が立ち並び、僅かに広場と城址碑観音堂が残るのみである、近くに「血の池」と言う公園がある)