
○墨俣城址(木下藤吉郎)安八郡墨俣町字城之越1742-1
墨俣城は永禄9年(1566)織田信長が美濃斉藤攻めの拠点として、長良川・犀川・木曽川などの合流する「州の股」のようになった墨俣に、砦を築くよう木下藤吉郎に命じた。
別名「一夜城」と言われる墨俣城は、川名衆の棟梁蜂須賀小六等の野武士を卒い木曽川上流から、基材を筏に組にで流し、短期間に川向こうの斉藤領に砦を築いた。
しかし、以前から斉藤側の砦として、墨俣の築かれていたとの文献もあり、定かではない。
現在は、当時の砦とはおよそかけ離れた、白亜の模擬城がそびえている。犀川沿いには桜並木が続き春は花見の人で賑わう
墨俣城は永禄9年(1566)織田信長が美濃斉藤攻めの拠点として、長良川・犀川・木曽川などの合流する「州の股」のようになった墨俣に、砦を築くよう木下藤吉郎に命じた。
別名「一夜城」と言われる墨俣城は、川名衆の棟梁蜂須賀小六等の野武士を卒い木曽川上流から、基材を筏に組にで流し、短期間に川向こうの斉藤領に砦を築いた。
しかし、以前から斉藤側の砦として、墨俣の築かれていたとの文献もあり、定かではない。
現在は、当時の砦とはおよそかけ離れた、白亜の模擬城がそびえている。犀川沿いには桜並木が続き春は花見の人で賑わう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます