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○十九条城址(織田勘解由左衛門信益)瑞穂市十九条津島神社
十九条信号を西へ樽見線踏切手前を右折「津島神社」境内に城址碑がある。
永禄4年「織田信長」は西美濃へ攻め入り「墨俣」の砦を固め滞在していたが、斉藤方が軽海西へ出兵し激戦が続いた。
信長は墨俣だけでは充分でないとし、犀川が西で半円を描く天然の要塞をなしている、十九条に城を築き、犬山城主の弟「信益」を城主とした。軽海の戦いで「信益」は戦死し城は焼かれ以後復興されなかった。(説明板)
十九条信号を西へ樽見線踏切手前を右折「津島神社」境内に城址碑がある。
永禄4年「織田信長」は西美濃へ攻め入り「墨俣」の砦を固め滞在していたが、斉藤方が軽海西へ出兵し激戦が続いた。
信長は墨俣だけでは充分でないとし、犀川が西で半円を描く天然の要塞をなしている、十九条に城を築き、犬山城主の弟「信益」を城主とした。軽海の戦いで「信益」は戦死し城は焼かれ以後復興されなかった。(説明板)
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