「これ何?」:集団、手段、終段
「いま時分の奴のやることは、みな集団をつくって、
アタマ数でゆこうとする。
ところがどこの集団もグループ呆けばかり、
金がほしいというのもグループ呆けなら、
エラクなりたいというのもグループ呆け。
いわんや党派をつくるなど、グループ呆けの代表である
そんなグループ呆けをやめて
自分ぎりの自分になることが座禅である」(澤木興道)
・自分ぎりの自分⇒「天上天下唯我独尊」と理解。
集団に功罪があることは確かである。
しかし、一人で生ききることは、凡夫には難しいので、
集団をつくる。
集団のモチベーションの善し悪しは、その組織の
「長」が担うこととなる。
「長」の判断も、組織としては、その判断が否定され得る
こともある。
ここに集団を動かすことの難しさがある。
「集団」は、あくまでも「手段」であって、
「終段?」ではない。
* 渡風亭 丸ごと食す 香魚かな
2020.08.27.moai291