阿蘇道場行はただ精神修養のためにだけ道場行は行われていたのか昭和十八年になると世の中も愈々戦時体制も非常事態であり、学問もそっちのけになっていたようであるが、当時の龍南会雑誌に阿蘇道場において書かれた里美建太郎氏の詩「山の唄」を紹介する。
写真は五高健児の碑
山の唄 三寮知命下 里美 建太郎
阿蘇道場にて
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山が暮れる
五彩の断雲が、低く
穹窿を這い廻る。
その岐れ目の深い遠い碧
緑の肌の五つの峰が
紫のウェールを被る。
濃白の自然の乳が
その嶺きにのしかかり
山は眠りに入る。
永遠に平和の姿に山は眠り
雲が自由と漂泊の子守唄を歌う
山が暮れる
密立した杉の梢の上を
飄々と夏の思い運ぶ南の風。
露を結ばぬ山の草が
感傷と浪漫に揺れ
郭公のたそがれの唄が流れる。
放れの牧牛の辿る稜線の上に
窈窕の夢の金星(ヴイーナス)が浮かぶ
山が暮れる
写真は五高健児の碑
山の唄 三寮知命下 里美 建太郎
阿蘇道場にて
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山が暮れる
五彩の断雲が、低く
穹窿を這い廻る。
その岐れ目の深い遠い碧
緑の肌の五つの峰が
紫のウェールを被る。
濃白の自然の乳が
その嶺きにのしかかり
山は眠りに入る。
永遠に平和の姿に山は眠り
雲が自由と漂泊の子守唄を歌う
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密立した杉の梢の上を
飄々と夏の思い運ぶ南の風。
露を結ばぬ山の草が
感傷と浪漫に揺れ
郭公のたそがれの唄が流れる。
放れの牧牛の辿る稜線の上に
窈窕の夢の金星(ヴイーナス)が浮かぶ
山が暮れる
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