五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

続習学寮史から、青年の苦悩

2009-08-19 04:29:37 | 五高の歴史
青年の苦悩
若者の苦悩と世情との挌闘、昭和十八年の総代であった岩村茂氏(昭和二十年理甲卒)の総代日誌を転載して阿蘇道場の生活等を推察する
八月十九日 昨夜四の一で総代四人十二時近く迄だべる。加田が指導者としての悩み、自己の性格、志望科等について話す。彼も感情こまやかな男だった。松本謙さんも自己の性格の変遷について語る、よくも変ったものである。そしてあれほど深く考え求めて、龍南に来たとは俺が漠然とやって来たのに較べて実に恥ずかしいような気がした。天藤は終始沈黙、松本によれば、彼も自己確立が出来たと云う。ああ俺独り、未だ悟ることなく、考えること無く。漠然として生きその日を送る。何たる浅薄漢ぞ、俺はあれ程深く自己を堀下げたことがあるか。俺は今迄結局あれ程の悩みを悩んだ事はない。順調に育ち性来、楽天的性格を持ちたる俺は真剣に考えることを失いたるか。考えること無き者は遂に人間的深味なし。妥協者、意気地無なし、偽善者そは我なり。而して我は習学寮総代足り。斯くの如き矛盾。而も我はそを探求せんとする努力を為さざる者なり。今尚、我が良心の鞭は我を鞭打たんとせざるなり。あゝ余は遂に何者なるが。哀れなる者よ汝は指導者なり破憐恥漢!!

二日 愈々、阿蘇道場に入る。午後の作業は又もや木の根起し、古賀と一緒に働く池で泳いでぬるい温泉に入る。

三日 前の湿田を鍬で耕す。憲ちゃん張切る。

四日 降雨の為道場の作業なく、午後は稲刈奉仕にいった家に、仕事を差せて貰いに三人で行く。大した仕事はなく苗代の整理を一時間ばかりして夕飯をご馳走に、重義さんの農村の実情についての話を色々聞き感銘を受ける。帰り道で橋の向うの温泉に入る。腕相撲する。

五日 雨漸く上がり、杭を削り、打込み柵を作る。憲ちゃんの鉢巻姿が猛烈に印象的だ。午後は芝を剥ぎ根を掘り起こす。

六日 初めは古賀、竹田と昨日の続きをしていたが後、麦の穂摘みをする。今日の昼飯を以て五日間の道場生活を終える。全く愉快な生活だった。そうして東光会と坐禅班のかく、異なった性格の雰囲気になり、その神殿拝礼、祝詞奏上或は坐禅前後の関係等々何物かを掴ませた。しかし愉快であり過ぎた反面、一般的には少し真剣みが欠けていたのではなかったろうか。もっと秋霜烈日の如き俊敢な生活が望ましかった。又一般に道場生活の諸法に慣れぬ者が多かったのも遺憾だった。喫茶、喫飯起居、進退全て法に則り峻烈なる道を求める生活であって而も心中誠に爽快を覚える。この阿蘇道場の生活こそ、我が生活の理想でなければならぬ。我が行わんとする所、道元禅師の修證一等、無所得の坐禅なる故に修の中に証あり、修の刻々は証の刻々である。従ってこの修業には始め無く、終わり無し、生涯廃すべからざるものである。今日の目的実現前の一行のみが価値あるのではなく、これに至るまでの一行一行がそれぞれ絶対の行である。刻々の行が連続して最後の目的実現にまで至るのである。併し一々の行は皆他を待つこと無く独立無件の絶対行である。何れの一瞬に死ぬも悔いを後に残すところはない、一歩一歩絶対に住しつゝも死に至ってなお止まぬ永遠の理念の精通、これぞわが生活のすべてを規定すべき理念でなければならぬ。

午後一行と別れ、古賀、大槻と三人で島津さんの家へ行き共同作業の麦刈りを手伝う。夕食後余りに月がいいので外へ出る。橋を渡り寮歌を高唱しつつ田園の畦道を進む、農家の灯は次第に遠ざかり天には満月独り煌々と輝く
前には五岳。黒々と我を圧するが如く後には外輪の連峰遙かに連り幽明境を隔つるかの如くである。歌声はと止めばあたりはかまびすしき蛙の鳴声。
初夏とは云え、阿蘇の夜気は単衣にはまだ肌寒い。腰を下ろして天をあおげば星影かすかに明滅し黙示の色に冴えている。静寂、ただあるは蛙の声、前に立つのは古賀 憲介君。
満月、阿蘇、田園、蛙声、古賀、自分、夜、
  行方なく月に心のすみすみて
            はてはいかにかならむとすらむ   西行
  蛙鳴くくらき麦田に我立てば
            大阿蘇照らす月さやけかり


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