五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

十八年卒業の皆さんの熊本城観光、

2010-03-28 06:35:34 | 熊本城を散策する
市内の観光地は現在桜が満開で観光客も一番多いピークのようだ。熊本城ではお城祭りも行われている。五高生の十八年卒業所謂、五高十八年会と云うそうであるが、その熊本城観光案内に参加して来た。平均年齢八十六才とか、上のほうは八十七であるそうで奥さん、共々の参加者は四十五人であった。申込みの方には文一以下理三までの七クラス、学年単位の同窓会といえるものである。クラス単位の同窓会と違って少々自分中心である感じもあった。それは自分の一国一城を完成し、功なり名を遂げた人たちであったかもしれない。この企画の熊本城観光は、昨年から予定を定めてあったとか、今迄の私の記憶ではこの十八年卒でお世話するは病院の先生が中心であったかと思ったが、今日のお世話は大学の先生であった緒方秀逸先生によって行われていた。如何に元気印でも八十六才といえば後期高齢者である。この十八年卒には元大分県知事平松守彦さんも居られたと思っていたが、今日の参加はなかった。しかし私の案内の中に元熊本大学学長本田弘人先生の姪御さんという方も旦那さんと一緒に参加されていた。時間でもゆっくりあれば少々昔の五高の話でもするが、五高は熊本城の古城から誕生したという資料を世話人の方に渡しておいたので眺めて見てくださいと頼んでおいた。

この時代の龍南会雑誌から昭和十七年度(二百五十号ー二百五十二号)
委員―徳澄正、百合本順太郎、松井、谷川巌、
戦乱は愈々急を告げ皇国、皇国と言う言葉がやたらに目を引く、記事中で目を引いたものには内田健三氏の「新しき倫理」と言うものがある。これも時局を考察したもの、詩歌、短歌にも世界観について書いたものばかりが目に付く。二百五十号では二千六百年敬頌、楠軒学人(高森教授)から北京から寄せ、特に後の評論家谷川雁氏が五高生を取巻く社会との関係を直接に衝くと言った作品が見当たらなかったこと、芸術は魂の卿愁なのか、その創造はまた魂の回帰と言おうか、芸術は内なる声の語る神話か、吾らは真実の玉を胸中深く之を執り出さねばならぬ、ともあれ風をはらんだ帆は巳に甚の船脚を早めている。「龍南」という又五高人の否定であらねばならない。船は港を後にした想うべき港は彼方にあって目前にはない。と編集後記が述べられ、編集の学生も少なくなり二百五十二号では編集後記にも雑誌部長自らの筆になっている。


昭和十八年度(二百五十三号)
委員―徳澄正、百合本順太郎、
いよいよ用紙の補給もなくなったのか寮誌との合併問題が起り、しかし応募作品は多かったとか、池田長三郎教授はここでは「皇国の道」を表し一人で龍南の灯を消すまいと努力されている。其の他論文では後の大分県知事平松守彦氏の「現代的世界感序論」を纏めている。龍南に対する生徒の関心は高かったのか。詩、短歌、俳句、短編の創作も多い。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿