五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和二十年から・・

2010-03-27 06:00:40 | 五高の歴史
昭和20年6月1日起案
渡り廊下取毀毀方伺の件

敵機の来襲激化と国内中小都市への焼夷弾攻撃は早晩必死と考慮せられ、20年1月13日発体3号文部省体育局長通牒第5項の次第も有之、延焼防止の点より見ても左記建物は之を除去するを適当と認められ候条右取扱相成可然哉、尚取壊毀古材は校内建物・工作物修繕用として、使用不能のものは湯沸用として使用相成可然哉

第五項校舎内外の可燃物の整理をなし、要すれば渡廊下を撤去する等の方途を講ずること

種目    建物番号    名称      構造     数量    価格     竣工年月日
雑屋建  七八合   自本館至寄宿舎  木造平屋建  21,3坪 2,231円  大正13年1月20日   渡り廊下
     
昭和20年6月15日取毀済 印

昭和20年7月1日の新入生歓迎パテイ―の最中に米空軍による熊本市中心部の大半を焼失させる大空襲を受けたが、この五高にはその被害は及ばなかった。
次にこの日の寮務日誌を転記する。(原文のまま)
昭和20年7月1日 日曜、曇 宿直者 池田一幸、中原勇、安達隆三 
記事 1年生の新入寮者約250名 未入寮者119名内1名清永繁(1-6)は戦死せし由、
11時40分頃より翌3時頃まで敵襲あり市内の大部分及び近隣に大火災生じたるも本校無事。


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