五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

パソコン時代を検討する

2012-09-15 06:37:57 | 五高の歴史

現代はパソコン・テレビを始めファックス、メール等々で相手さんへの連絡手段も多種、多様化し世界中、何処の地域にでも簡単に連絡が出来る。便利な世の中になったものである。

熊本における通信手段の発達は電報からである。

明治9年の神風連の乱の時,熊本鎮台の司令長官種田政明の愛妾小勝が東京の父宛に打った「ダンナハイケナイワタシハテキズ」の電文が都々逸になり後には参考電文にもなった。、

以降急用の連絡には電報の利用が進んだ。 ここでは龍南物語に見る大正の頃の電報の話を紹介する。

電  報  の  話
飲みたい、食べたいは人の児の情けである。
かくすればかくなるものと知り乍ら、止むに止まれぬは、殊に若い大和男児の精華である。
止むことを得ぬ飲みたい、食いたいのあとでは、極ったように丸いものに困る。其のことが殊に急を要する場合には「金おくれ」の電報が飛んで、ふるさとの親爺の顔に時ならぬ低気圧を起こさせる。
「ジギョウリョウノンダドウカシテクレ」
までは未だ邪気がない。
   ☆
「カネオクレ、ハナニヨロシク」
はOさんの電報。註に曰く、ハナとはOさんの田舎の許嫁の名。Oさんはお花さんに対していと冷ややかなるに反して、親爺の方は倅の嫁は彼女のほかにないという御熱心。Oさんそこを睨んでこの危急の秋に利用した。
 「イラヌコトイウナ、ヨケイナカネハヤラヌ」
Oさんの返し、
 「ソウイワズニオクレ」
   ☆
 次にHさんの電報の話。
Hさんは田舎の金持ちの戸主であった。遊学中は叔父さんが亡い阿父さんに代わって、一切の家の世話並びにHさんの監督にあたっていた。それだけHさんのは元気がみちみちていたのであった。
「カネオクレ」
「イマカネナイ」
「カネナケレバヤマヲキレ」
Hの財産にはたくさんの山林があった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿