現代はパソコン・テレビを始めファックス、メール等々で相手さんへの連絡手段も多種、多様化し世界中、何処の地域にでも簡単に連絡が出来る。便利な世の中になったものである。
熊本における通信手段の発達は電報からである。
明治9年の神風連の乱の時,熊本鎮台の司令長官種田政明の愛妾小勝が東京の父宛に打った「ダンナハイケナイワタシハテキズ」の電文が都々逸になり後には参考電文にもなった。、
以降急用の連絡には電報の利用が進んだ。 ここでは龍南物語に見る大正の頃の電報の話を紹介する。
電 報 の 話
飲みたい、食べたいは人の児の情けである。
かくすればかくなるものと知り乍ら、止むに止まれぬは、殊に若い大和男児の精華である。
止むことを得ぬ飲みたい、食いたいのあとでは、極ったように丸いものに困る。其のことが殊に急を要する場合には「金おくれ」の電報が飛んで、ふるさとの親爺の顔に時ならぬ低気圧を起こさせる。
「ジギョウリョウノンダドウカシテクレ」
までは未だ邪気がない。
☆
「カネオクレ、ハナニヨロシク」
はOさんの電報。註に曰く、ハナとはOさんの田舎の許嫁の名。Oさんはお花さんに対していと冷ややかなるに反して、親爺の方は倅の嫁は彼女のほかにないという御熱心。Oさんそこを睨んでこの危急の秋に利用した。
「イラヌコトイウナ、ヨケイナカネハヤラヌ」
Oさんの返し、
「ソウイワズニオクレ」
☆
次にHさんの電報の話。
Hさんは田舎の金持ちの戸主であった。遊学中は叔父さんが亡い阿父さんに代わって、一切の家の世話並びにHさんの監督にあたっていた。それだけHさんのは元気がみちみちていたのであった。
「カネオクレ」
「イマカネナイ」
「カネナケレバヤマヲキレ」
Hの財産にはたくさんの山林があった。
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