五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

習学寮十二境記から

2015-02-16 05:25:34 | 五高の歴史
やはり五高の歴史をあさっていると習学寮に到達する、五高会報を見ているとその第五号に記事としては黒本植先生の「習学寮十二境記」と高田保馬氏の「武夫原の歌の作者恵利武氏」が掲載されていた。この十二境について言えば、昭和13年2月発行された習学寮史そして昭和32年発行の五高七十年史には詳しく掲載されている。



十 二 境

一   千世の林     千歳林  本館の前の東西の松林
二   かざしのその   好文園  図書館から銃器庫一帯
三   かたみの花    留魂樹  中門内の東側に植えた卒業記念樹
四   椎しばの庭     攢翠軒  その昔は寮内には沢山有ったらしい
五   穂なみのはし   麥浪橋   夜鳴き橋のこと
六    声すみ河    清響灘   白川の瀬の音
七   芝生のそてつ   鐵蕉場  小高くなって居るので字を使ってある、本館との色の取り合わせが面白い。
八   手にとる山    送青嶺  金峰山一帯をさして言う・  
九   ちしほが岡    紅葉岡  小峰墓地一帯
十    黒かみ山    雲髪山  龍田山のこと
十一  もの丶ふの原   武夫原  錬武場とあるのがおこりか 
十二  ふきでの峯    吐龍峯  阿蘇山のこと


五高開校から百三十年現在熊本大学になっても残っている遺産は十一 もののふの原 武夫原のみである。他の物については河川改修や学内整備等で昔を忍ぶよすがは無くなってしまった。

現在の武夫原グラウンド

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