五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

火曜日は週一回の五高記念館への出である。

2015-06-17 04:49:09 | 五高の歴史
火曜日には相変わらず五高記念館に出ている。記念館はお互いに休暇のようであるもちろん俺が知ったことではないが・・・・・・。俺は例の如く八時半に資料室に入り何時ものように資料を漁っている。週一回ではこの前は俺は何を調査したかと忘れていることさえある。年取ったなあと思い知らされることである。



昔の想い出から  奉安殿と修身教育について
ご真影は天皇陛下を現人神に祭り上げ陛下の為に死ぬーと言う軍国主義と人生は如何に清く正しく生きるべきかーという人間を深く内省し思索する修身教育が戦争への日本人の性格を推進めて来た中心であった。
それは、親兄弟・地域・社会に対する恩は決して忘れず、友人の信頼は裏切らず隣人とは仲良くし人生の先輩としての年長者を敬い、人間としての倫理観を持ち、不正には断乎として戦い、弱者は助け日本人としての誇りを忘れず、日本国家も国際社会の一員としての義務を果たすという修身教育の根幹を示した。
この思想こそが五高剛毅木訥の精神ではなかったのだろうか。五高同窓会が成立した時の趣旨を見れば、同窓会の成立は明治二十年の開校から経ること四十年目、昭和五年のことであった。このときまでの卒業生は約八千名、それらの人々は既に日本社会の中枢幹部となり日本の指導者たる立場になったものが数多く見られた。
その為当時の同窓会の設立の理由として卒業生の間で連絡機関がなかった為にたとえ席を同じにしても、互いに五高卒業生であることを知らなかったりすることが起こりがちであったということであり、先輩が後進を引き立て、後進の者が先輩の指導を受けることも充分に行うことも出来なかったのでこれを設立するという設立に際しての同窓会長である学校長の挨拶が述べられている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿