今年のクリスマスはこれにしました。
花屋さんの壁に品よく飾られていたスワッグ。
ツレの一目惚れでした。
ヨーロッパでは昔から空気の浄化や魔除けのために、花やハーブを束ねて飾っていたとか。
由来を知ったら、サイモン&ガーファンクルの「スカボロフェア♫」が思い浮かびました。
静かなよいクリスマスを迎えられますように。
今年のクリスマスはこれにしました。
花屋さんの壁に品よく飾られていたスワッグ。
ツレの一目惚れでした。
ヨーロッパでは昔から空気の浄化や魔除けのために、花やハーブを束ねて飾っていたとか。
由来を知ったら、サイモン&ガーファンクルの「スカボロフェア♫」が思い浮かびました。
静かなよいクリスマスを迎えられますように。
クリスチャンではないけれど、毎年この時期、「今年のクリスマスツリー」を考えるのが好き。
去年のクリスマスツリーはこんな感じ。花屋さんで小さなもみの木を買ってきて
うちにある毎年使いまわしのオーナメントをシンプルに飾りつけました。
夕方、家族が帰宅しドアを開けたときに、クリスマスを感じられるように、
疲れを忘れ、神様を想う時間になるようにと祈って。
先日、知り合いがこんな話をしてくれました。
<昔、お金持ちの夫婦に、長いこと望んでいた子どもが生まれ、盛大なお祝いパーティーをすることになりました。
当日、暖かそうな重いコートを着た招待客たちが次々と訪れ、彼らのコートは赤ちゃんが眠っている
ベビールームのベッドの上に置かれました。豪華な食事の後、プレゼントの交換をしようとしたとき、
ある女性が「赤ちゃんはどこ?」と。赤ちゃんの母親はベビールームに駆け込み、コートの山の中から
わが子を救い出した時には、もうすでに息絶えていました。>
知り合いはクリスチャンなので、クリスマスを控え、「キリストの誕生を祝うためのクリスマス」という
本来の意味を忘れないようにと、自分たちを戒めているのでしょう。
文化・宗教に関係なく、なんでも年中行事にして生活を楽しむ多くの日本人には
あまり関係のないお話ですかね。かく言う私もそうですが・・・
今日は12月5日、そろそろ今年のクリスマスツリーのデザインを練りましょうか
幼稚園の教室のオルガンに始まって、なんとなくいつも心のどこかにピアノがあったような気がする。
私が幼い頃、我が家はピアノを買えるような余裕はなかったので、学校のオルガンやピアノで遊んでいた。
進学、受験するに際して、基本的なピアノの演奏技術が必要となり初めてピアノ教室なるものに通った。
それからしばらくは学校でも職場でも弾き、電子ピアノを購入し家でも弾きと楽しいピアノ生活を送った。
時は流れ、何故かピアノを処分してしまい、折角指が覚えた曲も危うい記憶になりつつあった。
そしてまた時は流れ、やはりピアノが弾きたくなり、新たにピアノを購入した。
まず、テーブルの上で運指練習をしてみたら、スムーズに動かず考え込んでしまった。
でも、鍵盤に指を載せると、なんと指が勝手に動いてくれた。不思議なものだ。
短期記憶の繰り返しが長期記憶に残っていたのだろうか。
人間の体の不思議だ。その不思議に感謝し残り火を消さず、また細々とでも燃え続けられるように
練習をしよう。
介護講座が終わって、ほっとしているところ。
この4か月時間に追われ、食事もお惣菜を買ってくることが増え、
夏風邪がなかなか抜けなかったり、疲れやすかったり、
心のどこかに何か引っかかるものがあっても見ないふりをしていました。
そうだ!私の心と体が本当に好きな食事をしていなかったのかもしれない。
1か月ぶりに何もない土曜日、買い物帰りに寄った十割蕎麦の店で「かけそ
ば」を注文。お店側にとっては儲け幅の少ない迷惑な客でしょうが、
麺類はシンプルなものが好きなので、
蕎麦は「盛り蕎麦orかけそば」、ラーメンは醬油ラーメンに決めています。
具が入りすぎるとスープの味が変わったり、蕎麦自体の味がわからなくなっ
たり、それがどうも苦手です。味のバリエーションを楽しみたい方は、メニュ
ーやたんざくを見て迷うことも楽しい時間なのでしょうが、私は「一択」で
す。自分の心に素直に従って。
十割かけそば
その後、デパ地下で見つけた「西海みかん味まるくん」
試食を勧められて一口・・「ンまい!ジューシー‼」即買いしました。
中の袋も薄くてするりと喉へ流れていき、一瞬にして全身に滲みわたり
まるでジュースを飲んでいるかのような味わいでした。
ちょっとお高めだけど、心も体も喜びました。
このあと、下手なピアノの練習をしてから、夕食は大根と豚肉の甘辛煮を作り
ます。
「体は食べたものだけで創られている」、を座右の銘にして。
年1回上高地に通うようになってから、上高地ウォッチャーです。
シーズン中は、五千尺ホテルが設置しているライブカメラでほぼ毎日風景をチェックしています。
11月15日、上高地が閉山しました。
翌日からは、風景が一転。白樺荘のパラソルも片付けられ、誰も歩いていない河童橋、
梓川だけが変わらず滔々と流れ続けています。
雪を被った穂高の山々はいつものように気高く聳えていますが、
ひとっけのない河童橋は寒々しいかぎりです。
また来年、木々が芽吹き出し開山の日が来るまで上高地は冬眠です。
早朝の梓川