祖先を訪ねて三千里

古代史考察など

東南アジアは母系で女権⁉︎

2023-03-14 06:00:00 | 古代史
東南アジアの
女権社会について話をする前に
母系社会と女権社会の違いについて
説明しておこう。

母系か父系かというのは
実は子供が
母親の親族集団に属するのか
父親の親族集団に属するのか
という違いでしかない。

古代日本は母系制だったのではないかと
言われてきたが、最近では双系制だった
可能性が指摘されている。

双系制に場合、子供は
父親と母親の両方の親族集団に属する。
また選系制と言って
所属する親族集団を選ぶ社会制度もある。

ただし母系制=女権社会ではない。
子供は母親の親族集団に属するが
社会的・政治的権力は男性が持つ、
というパターンももちろんある。
モンゴルなど狩猟や遊牧系の社会は
このパターンが多い。

さてカンボジアの建国神話には
竜宮城に住む竜王の娘ニァックが
登場するが、実はこのニャックは
1世紀頃に成立した扶南王朝の
初代リゥイー女王だとされている。

リゥイー女王はインドから進軍してきた
フン・ティェンを打ち負かしたが、
海岸で次の戦闘の準備をしていた
フン・ティェンの勇敢さに惚れ
結婚を申し入れ、受け入れられた。

竜宮城に住む海神の娘…?
これはまさに
海幸彦山幸彦の説話にある
海神綿津見の娘、豊玉姫ではないか!

山幸彦は海神綿津見神の宮殿に行き
豊玉姫と出会い結ばれる。
二人の子供が神武の父、
ウガヤフキアエズであり、
ウガヤフキアエズの妻は
豊玉姫の妹、玉依姫である。

実は古代九州では卑弥呼以外にも
女性の首長が多く、
女性首長の古墳や伝承が
多く残っている。

女性を首長や王にしないと
民衆が納得せず上手く国を
治められなかったのかもしれない。
実際卑弥呼の死後、
男王が立ったが内乱になり
再び女王壹与をたてている。

次はカンボジアの隣国ベトナム。
紀元前のベトナムは
母系で女権社会だった。
だが紀元前111年よりベトナムは
約1000年に渡り
中国(当時は漢)に属するようになる。

中国文化が持ち込んできた
社会通念が儒教であり、
道教であり、父系社会だった。
(中国には色んな民族がいて
母系社会を築く民族もあるが
漢民族は父系で男権社会だった)

ベトナムでは中国人官吏の
横暴に耐えかねて独立運動が起きる。
その代表的なものが
チュン姉妹(徴姉妹)の反乱、
ハイバーチュンの反乱だ。

ベトナムの建国神話では
チュン姉妹は独立を勝ち取り
姉の方が王になる。

だが実際は後漢から派遣された
将軍馬援に敗れて非業の死を遂げた。

独立運動に立ち上がったのが
男性ではなく女性だったというのは
実に興味深い。
中国人官吏の横暴もあるが
そもそも母系で女権だった
古代ベトナム社会の女性たちは、
中国(漢)に強制された
父系社会に馴染めなかったのだろう。

ちなみにこのチュン姉妹、
ハイバーチュンの反乱を描いた
絵を見ると、チュン姉妹は
象に乗って戦っている。
馬ではなく象というのが
なんとも東南アジアらしい。

実はカンボジアやベトナムには
イソップ童話の「うさぎとかめ」に
よく似た説話が伝わっている。

ただし争うのは
「うさぎとかめ」ではなく
「男と女」だ。
(演歌のタイトルのようだ…)

城作りや山作りなどで
男性達と女性達が争う。
男性達がうさぎで女性達が亀、
男性達が油断して休んでいる間に
女性達が勝つというストーリーだ。

女性が権力を持つことの
正当性を示したり、
男性よりも女性の方が
優秀だということを
証明する説話だったり、
男性が女性に求婚することの
由来を説明する説話となっている。