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影武者 徳川家康【作品】

2014-05-29 18:47:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
平成25年tw
@kyojitsurekishi 徳川15代が登場する時代劇(主人公作品優先)
1徳川家康:家康が登場する時代劇は多いが家康が主人公の作品となるとNHK大河ドラマ「徳川家康」(滝田栄主演)、アニメの「少年徳川家康」が代表だろう。異色(?)の作品で「影武者徳川家康」がある。
posted at 12:26:35

posted at 03:59:34

posted at 04:00:17

テレビ東京の「#影武者徳川家康」では西田敏行が家康とその影武者の2役を演じるらしい。西田敏行はNHKの大河ドラマ「おんな太閤記」で豊臣秀吉を演じ、「八代将軍吉宗」で徳川吉宗、「葵 徳川三代」で徳川秀忠を演じたが、今度はテレ東の時代劇で家康役である
posted at 04:05:36

時代小説「#影武者徳川家康」の設定では家康が関ケ原の合戦で暗殺されたらしい。この場合、江戸時代の将軍で「本物」の徳川家康の血を引くのは秀忠から家光、家綱、綱吉、家宣、家継までで、吉宗から慶喜までは他家の子孫ということになり、水戸光圀も「家康の影武者の孫」という設定になるのか?
posted at 04:51:58

平成26年tw
#影武者徳川家康」で西田敏行が家康と影武者の2役。西田敏行は豊臣秀吉(おんな太閤記)、徳川秀忠(葵徳川三代)、徳川吉宗(八代将軍吉宗)、大岡忠相(丹下左膳2004)を演じた。
posted at 16:24:16

西田敏行は「翔んでる!平賀源内」では平賀源内を演じ、「おろしや国酔夢譚」で庄蔵を演じた。更に西田敏行は「翔ぶが如く」では薩摩の西郷隆盛を演じ、「八重の桜」で西郷頼母を演じた。
posted at 16:26:39

「王になった男」の時代設定は1616年で、徳川家康が没した年。奇しくも「影武者徳川家康」と似たドラマで時代設定も近い。
posted at 00:37:45

時代小説「#影武者徳川家康」の設定では江戸時代の将軍で「本物」の徳川家康の血を引くのは7代将軍・家継までで、吉宗から慶喜までの将軍は「影武者の子孫」で、水戸光圀も「影武者の子孫」。影武者が同一人物ならやはり光圀と吉宗は「親戚同士」になる
posted at 18:18:24

NHK新大型時代劇「真田太平記」で徳川家康を演じたのは中村梅之助で、徳川秀忠を演じたのは中村梅雀。大河「徳川家康」では滝田栄が家康を、役所広司が信長を演じたが、もし滝田栄が信長役だったらどうなっていただろうか。
posted at 20:01:50

NHK大河「おんな太閤記」では西田敏行が秀吉を演じ、フランキー堺が家康を演じた。
posted at 20:02:01

もし、西田敏行がこれらの人物を一人で演じる時代劇があったら、視聴者は頭が混乱するだろうか。
豊臣秀吉(NHK大河ドラマ「おんな太閤記」)、
山本勘助(NHK大河「武田信玄」)、
徳川家康、徳川秀忠(NHK大河「葵 徳川三代」)、
紀伊國屋文左衛門(テレ東「徳川風雲録八代将軍吉宗」)、
日野家用人・垣見五郎兵衛(日テレ「忠臣蔵」)、
徳川吉宗(NHK「八代将軍吉宗」)、
大岡越前(中村獅童主演、日テレ「丹下佐膳」)、
平賀源内(TBS「翔んでる!平賀源内」)、
庄蔵(映画「おろしや国酔夢譚」)、
西郷隆盛(NHK大河「翔ぶが如く」)、
西郷頼母(NHK大河「八重の桜」)

平成27年tw
「影武者 徳川家康」は「もしも関ヶ原で家康が暗殺されていたら」という話。もし大坂夏の陣で家康が倒れていても、実際の逝去の前年だし、将軍の座を秀忠に譲った後だったので、大きな変化はなかっただろう。

〔午後7:00 · 2022年12月27日 〕

午後7:19 · 2022年12月27日


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参照

『天照大神の末裔』同士の婚約内定?

2014-05-29 11:32:00 | 太古~『西遊記』の時代
高円宮家の次女典子さまと出雲大社祢宜(ねぎ)=宮司(ぐうじ)補佐役・千家国麿(せんげ・くにまろ)氏の婚約が内定。

@kyojitsurekishi 今度は天照大神にさかのぼる縁か。さすが出雲大社の宮司。
<典子さま婚約内定>ひかれ合って7年…千家さんと会見(毎日新聞) - Y!ニュース
>「…2000年を超える時を経て…ご縁を感じています」
毎日新聞 5月27日(火)22時3分配信
17:09 - 2014年5月27日+16時間

典子女王殿下ご婚約へ 皇室と出雲大社、神話の時代からの縁(産経新聞) - Y!ニュース
産経新聞 5月28日(水)10時28分配信
1:12 - 2014年5月30日

しまりすマネージャ‏@simalis1
神話はあくまでフィクション・ノンフィクションごちゃ混ぜの話として大らかに捉えるべきであって、「大和朝廷は3世紀頃~」「出雲国造は6世紀頃~」なんて学術的な検証から神話や皇統を全否定する作業は不要なんですよ(笑)
しかもワザワザDMで教えてくれなくても良いのに(笑)…
4:25 - 2014年5月27日+16時間(→推定20:25)


日本の歴史で疑問に思うのは結果として権力を握った勢力の多くが天皇の子孫だということだ。
蘇我氏は佛教導入を主張し、反対派の物部を倒したが、蘇我氏は孝元天皇の皇孫・屋主忍男武雄心命または孝元天皇の皇子・比古布都押之信命を父とする武内宿禰の子孫とされる。

蘇我氏は聖徳太子の時代に天皇家と血縁関係を結んだが、もとより同祖の末裔だったことになる。

また、桓武平氏は桓武天皇の末裔で、清和源氏は清和天皇の子孫なので、源平は天皇家同士の内輪もめであり、壇ノ浦で源氏が平家を滅ぼしたかに見えたが、北条政子の北条氏も桓武平氏の子孫を名乗っており、源頼朝は敵を妻にしていた(あるいは真の敵は義経だったか)ことになる。
北条家が源氏の将軍家を滅ぼし、鎌倉幕府で実験を握ったのは平家による源氏への報復だった。
「義経=ジンギスカン説」ではチンギス・ハーンもフビライ・ハーンも清和天皇の子孫になり、現行は源氏と北条家の内戦になる。

また、日本では源氏の末裔を名乗る足利氏が北条を敵とし、鎌倉幕府を倒して、室町幕府を立てた。後に織田家、木下家→羽柴家→豊臣家が天下を握ったかに見えたが、これまた源氏の末裔を自称した松平家→徳川家が天下統一。

『葵 徳川三代』では徳川家康が天下取りのために系図を書き換えた結果が「源氏の子孫」の主張である。『必殺仕事人V』では筆頭同心・田中と他の同心たちが江戸時代の将軍家(徳川家)を「源氏」としていた。

1867年の徳川慶喜による大政奉還は、1185年に天皇宗家から一度、清和源氏に移った政権が、682年経って天皇宗家へ戻された過程に過ぎないことになる。
結果として日本の歴史は天照大神の子孫同士の内輪もめか、天皇の子孫が他家に政権を奪われて取り返した経緯である。
どの辺まで信頼できるか定かではない。

日本の天皇家の歴史は『北斗の拳』の北斗宗家に似ている。

『北斗の拳』では北斗神拳の傳承は実力による一子相傳のはずだったが、「修羅の国」編では、いつの間にかケンシロウ、ラオウ、トキがヒョウやカイオウと同じく北斗宗家の末裔ということにされ、それは2000年前の北斗神拳と北斗琉拳の誕生の歴史までさかのぼっていた。
リュウケンの弟子だったジャギ、キムが傳承者になれなかったのは血統で決まっていたのか?
アミバも北斗宗家の血を引いていなかったのだろうか?

南斗聖拳も同様だ。ユダ登場の時のレイの話では、南斗六聖拳は南斗聖拳を極めた「男」たち(またはその拳法)だったはずだが、五車星(風のヒューイ、炎のシュレン、山のフドウ、雲のジュウザ、海のリハク)が登場した時には最後の将が女のユリアで、ケンとラオウの最終決戦の時の回想では、ユリアは幼少のころから血統で南斗の将になることが決まっていたようになっている(ユリアが将であることを知っていたのはフドウ、リハク、ヒューイ、シュレンで、ジュウザにはギリギリまで知らされていなかった)。
なお、ジュウザとユリアは腹違いの兄妹であるが、ユリアにはリュウガという兄がいた。

蘇我氏が武内宿禰の子孫で孝元天皇の血を引くという「神話」だけでなく、平家、源氏、北条、足利、徳川家も「天皇家の子孫」という歴史観も非常に疑わしい。
19:11 - 2014年5月30日

もしも徳川家が源氏の子孫だったら - Yahoo!ブログ
11:36 - 2014年5月31日

壇ノ浦で二位の尼とともに海底に沈んだ安徳天皇も父は高倉天皇、母親の平徳子も桓武平氏なので皇室とその子孫の間に生まれた(NHK大河ドラマ「平清盛」では清盛は後白河院の隠し子で、平氏にとって養子)。
17:07 - 2014年5月31日

また、徳川家が「清和源氏の末裔」であれば、徳川家は「清和天皇の子孫」なのだから、幕末の孝明天皇の時代の和宮と家茂の結婚(公武合体)は皇室の本家と分家同士の婚姻になる。日本の歴史は「天照大神の末裔」同士の婚姻や権力争いの繰り返しとされているようだ。
17:13 - 2014年5月31日

皇室と千家家が天照大神の末裔というのは非科学的だという人もいるかも知れないが神社の宮司がこれを言うのは信仰の上から見て当然で、毎年初詣に行く人は神を信じていないのだろうか?
17:14 - 2014年5月31日

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関連語句
天照大神
北斗(Y!Blog)
大和朝廷 3世紀 典子さま 2000年(twitter)

参照
武内宿禰は300年生きた? - Yahoo!ブログ
西暦2014年は皇紀2674年か1834年か - Yahoo!ブログ