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TeaCupより>元号廃止論の問題点2

----- -------- AUTHOR: kyojitsurekishi TITLE: 元号廃止論の問題点2 DATE: 04/03/2019 05:28:00 PRIMARY CATEGORY: 歴史全般、元号 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY:
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元号廃止論の問題点 
 
 
 
2018/6/4(月) 午前 9:52

「昭和40年生まれが平成30年で何歳かなど、改元をまたいだ年齢の計算が面倒」
 
こんな問題は大化の改新以来、日本人は何回も経験しており、元号廃止の理由にならない。
昭和のころには、日本人は、明治生まれ、大正生まれの人が何歳か、何とか計算していただろう。
しかも制度上、假の元号が廃止されても、昭和生まれが自分の生まれた年を「昭和~年」で言うのは個人の自由なので、假に役所の手続きで元号を書く必要がなくなっても、日常会話では「昭和~年生まれ」「大正~年創業」という表現はいくらでも出てくるだろう。これは個人と個人の知識と気遣いで解決する問題であり、制度上、元号が廃止されたらすぐに解決する問題ではない。
 
また、元号廃止派は「西暦一本化」を主張するが、これは「全ての人が西暦を理解できる」という前提に基づいており、「西暦を知らない人」を想定していない。
今年が平成何年かわからない人が元号を廃止したいなら、今年が西暦何年かわからない人がいたら西暦を廃止すべきか?西暦廃止論は元号派の一部にあるが、これは元号廃止論より難しく、実際は不可能だ。
 
明治・大正・昭和・平成と西暦の換算など「できて当たり前」であるから、元号廃止の理由にならない。
 
それでも換算が面倒で元号を廃止したい人は別の例を挙げるべきだ。
 
「元号廃止」を主張する人は江戸時代以前の元号の難しさを根拠にする方がいい。
西暦では2018年から100年前は1918年で大正時代、200年前は1818年、300年前は1718年、400年前は1618年で江戸時代、500年前は1518年で戦国時代、600年前は1418年で室町時代という風に何とか理解できる。
元号ではどうか
平成30年(2018年)から数えて100年前は大正7年(1918年)、200年前は文政元年(1818年)、300年前は享保3年(1718年)、400年前は元和4年(1615年)である。では、500年前、600年前を西暦でなく元号で言える人は少ないだろう。これが元号の限界である。
上述の「明治151年、大正107年、昭和93年、平成30年」という表記も、西暦への換算をしないで過去の元号との換算(例:平成30年は昭和93年だから50年前は昭和43年)をする目安になるが、それでは「安政7年は何年前か」を算出するために、「慶応154年、元治155年、文久158年、万延159年、安政156年、嘉永161年」など、過去のあらゆる元号で「2018年」表していったらきりがない。
これも元号の限界である。
元号を守ろうとする人は「元禄赤穂事件」「享保の改革」「天明の飢饉」「寛政の改革」「天保の改革」「安政の大獄」など、明治維新以前の「歴史」を持ち出す。役所で書く年月日の「年~」が「元号」から「西暦」に改められたところで、その日から「元禄赤穂事件」を「1701年の赤穂事件」と呼ぶ必要があるとも思えないが、とにかく元号派は「歴史」を重視する。それでは元号廃止派も「歴史」で対抗すべきだろう。
徳川家康の生没年、コロンブスの生没年を全部、元号で言えるか?そこが重要だ。
 
「平成40年のような未来の表記がおかしい」
「免許証で平成32年、平成33年、平成34年、平成35年などが期限になる」
これも大した問題ではない。そもそも平成と西暦の換算に慣れていれば、「平成100年」は西暦2088年であることがわかるはずだ。2018年(平成30年)は「明治151年」である。
「平成40年」は平成30年から10年後だから2118年である。
昭和が終わった後、免許証では「昭和65年」などの「幻の昭和60年代」が期限である例が多かった。
改元後もしばらく一部で「平成」が使われる可能性があるので、驚いている人が多い。
 
こういう人は要するに「今は平成だから、昭和と西暦の換算は不要」「平成が終わったら、平成と西暦の換算はしなくていい」と決めつけている。昭和と西暦の換算ができないの人が「平成生まれだから」というのを言いわけにするのと同じだ。これは間違い。たとえ今が「平成」であっても「昭和」と西暦、「大正」と西暦、「明治」と西暦、「慶応」と西暦、「元治」と西暦、「文久」と西暦の換算は必要な時があるだろう。完全にないと限らない。
時代が新元号の時代になっても、その年が昭和で何年か、平成で何年か知っておく必要はある。
 
現時点で元号廃止論者が理由にしているのは、怠け者の愚痴にすぎない。
 
一方、元号と西暦の計算は、日常、よく出会うものに必要であっても、全ての元号でそれをやるのは、ほとんどの人には不可能だろう。
逆に元号派も「明治・大正・昭和と西暦の換算くらい簡単」と言うのはいいが、では平安時代や鎌倉時代の元号を全部、西暦に換算できるか。これが元号の限界である。
 
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