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TeaCupより>元号廃止論の問題点3

-------- AUTHOR: kyojitsurekishi TITLE: 元号廃止論の問題点3 DATE: 04/03/2019 05:28:00 PRIMARY CATEGORY: 歴史全般、元号 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY:
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元号廃止論の問題点 
 
 

「元号が変わると『古い人』だと思われる」
 
これは昭和生まれが明治・大正生まれを「古い人」だと思っていたから、あるいは平成生まれが昭和生まれを「古い人」だと思っているから、自分が「古い」と思われるのが嫌ということだろうが、自業自得であろう
それに西郷隆盛と大久保利通が文政生まれ、坂本龍馬と徳川慶喜は天保生まれ。幕末の人は人間を元号で分類してたのか?こういう「生まれた時の元号の違い」で一々、「あいつは古い」と言っていてはきりがない。
も昔は当たり前で、この程度は元号廃止の理由にならない。
 
「改元の時期が年度の途中になり、改元の年に複数の元号が存在する」
これも今まで何百回も繰り返されてきたので、今さら問題視することではない。朝日新聞の社説も結局、「5月1日改元」にかみついているだけだ。確かに保守派が「二重権力」への危惧で新元号の公表を遅らせ、結果として平成と新元号の併用を招くのは間抜けだ。しかし新元号は改元のその日にわかるのが普通だし、結果として改元の時期が5月になっても、別に異常ではない。文政→天保、天保→弘化、嘉永→安政の改元など陰暦と陽暦の違いもあるので、昭和や平成の改元よりもっと面倒だった。今後、改元が1月1日からになっても、過去の多くの改元が年度の途中からだったので、計算でそれを考えに入れる必要があるのは変わらない。
 
「一世一元は明治以降に過ぎない」
こういう指摘もあるが、それなら幕末の15年間で6回の改元(嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応→明治)があった時代の方がよかったのだろか?明治→大正→昭和、あるいは大正→昭和→平成のような2度の改元でも計算が面倒な人がいるのに、もっと細かく改元したら混乱が増すのではないか。
例えば天皇の交代でなく戦争や震災をもとに改元していたらどうなっていたか。もし昭和天皇が終戦の年を最後に退位していたら「戦後」が元号になっていた。戦後40年が昭和60年、10年後の戦後70年が平成7年、この年に阪神大震災が起きた。阪神大震災から16年後に東日本大震災。それから7年経った。今年は戦後50年+阪神大震災16年+東日本大震災後7年だから50+16+7=73年である(関連語句「戦後」)。
 
「西暦と下1桁が合っていない」
これも西暦中心で考えている人のエゴ。2019年退位だと計算が面倒だという人が天皇に2021年まで頑張ってほしいと願うのは天皇の負担を無視している。2001年に退位していればよかったが、それでも20世紀の明治、大正、昭和、平成初期と21世紀の元号が違えば、計算の手間は変わらない。
過去の元号で下1桁が同じだった元号には「天明」「享和」「文久」などがある。確かに計算には便利ではあるが、「元号と西暦の下1桁を合わせてほしい」の願う人が「天明、享和、文久なら覚えやすい」と主張しているのかどうか、疑問だ。
 
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元号廃止
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