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▲『おろしや国酔夢譚』『ラ・セーヌの星』『ダントン』



1791年、ペテルブルク(Peterburg)で大黒屋光太夫はエカテリーナに謁見、帰国を許される。『おろしや国酔夢譚』では、このとき、光太夫が「異国に来て、自分が日本人だとわかった」と述べ、女帝は「フランスの哲学者のようなことを言う」とコメントしていたが、女帝にとって「フランス」は単に想い付きで出た国名ではなかったのだろう。武士、つまり軍人が皇帝から政権を与えられて、政治を行っている日本という国を、エカテリーナはどう想ったことか。

ラックスマン(Laksman、1766~?)が「光太夫ほどの男が一介の船乗りでいる」という日本に感嘆していたようだ。
『女帝エカテリーナ』のエカテリーナは「革命」を認めたくなかったようだが、彼女の即位自体がクーデターであり、日本では異国の女性が皇后になって、そのまま皇位を継承するなど考えられない。
革命やクーデターを恐れるのは、体制側、保守派の考えであるが、自民党政府が進めていた改憲案に対して「これはクーデターだ」として批判する投書が朝日新聞に載ったことがある。これは安倍政権のころだったと想うが、皇室典範改正に反対するのが保守的であるように、日本国憲法の改正に反対する護憲派や、教育基本法改正に反対した人たちも保守派、体制派である。

『女帝エカテリーナ』でクーデターが計画されたが、途中で挫折。「ロシアではまだ、革命は早い」と判断された。ただ、作品に出てきた当時のロシア人への評論は、現代の日本人にも当てはまる気がする。
ロシアの帝政が革命で倒されたのは、エカテリーナ没後121年たった西暦1917年であった。1922年に生まれたソビエト連邦(1922~1974)は70年で消滅。ソ連はロシア帝国からロシア連邦への中間段階という役割になった。

光太夫帰国、日露交渉
光太夫は10年ほど、ロシアにいて、東から西へユーラシアを横断したわけだが、途中、イルクーツクで仲間の新蔵は帰国をあきらめ、凍傷で片足を失った庄蔵もキリシタンになり、ロシアに残る決意をしていた
1792年(寛政4年)、ラックスマンが同行して、光太夫が蝦夷に到着。
翌1793年、日露会談がおこなわれた。松平定信は「いずれは開国すべきだろうが、今はまだ無理。長く続いた百姓一揆も終わり…」(要約)と述べ、一度は「おろしやに帰ってもらおう」と言った。「一揆」とは天明の飢饉による一揆のことだろう。
「外国から帰った者は死罪」の知らせに光太夫は愕然とするが、結局、許されて、残りの人生を日本で過ごした。最終的に伊勢に帰ることもできたようである。
この年、1793年に寛政の改革が終了。そして、同じ年にマリー・アントワネットが処刑された。

革命後のラ・セーヌの星、ダントン
また、『ラ・セーヌの星(Etoile de La Seine)』によると、
アントワネットにはシモーヌ(*Simone)という異母妹がいて、シモーヌの母はオペラ座の歌姫らしい。このシモーヌは時々、假面をつけた「ラ・セーヌの星」となり、市民の敵たちを倒していた模様。松平長七郎か桃太郎侍に似ている。最後、アントワネットが処刑されたとき、シモーヌはアントワネットの遺児二名を連れてパリから去っていったらしい。

1794年、ダントン(Danton、1795~)が処刑され(『ダントン』)、
ロベスピエール(Robespierre、1758~)も同じ年に処刑された。

1796年、エカテリーナII没。山下恒夫『大黒屋光太夫』(岩波新書、2004)によると、光太夫がこの知らせを聴いたのは2年後。
 オランダ商館長・ラス(1798年に着任したLeopold Willem Ras)が江戸に参府したとき、風の噂につたえ聴いたとのこと。

一方、ロシアに残った新蔵、庄蔵はロシア当局が望んだ日本語教師をしただろうが、イルクーツクで日本語教育は根付いただろうか。
バイカル(Baikal)湖附近はモンゴル系ロシア人もいて、モンゴル人にとって日本語は学びやすい言語のはずだ。

徳川吉宗と大岡忠相、平賀源内
9代家重と大岡忠光、平賀源内
大黒屋光太夫、寛政の改革、アントワネット、エカテリーナの時代
フランス革命は正しかったか
『おろしや国酔夢譚』『ラ・セーヌの星』『ダントン』

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関連語句
大黒屋光太夫 寛政の改革 エカテリーナ アントワネット
世界史
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