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▲日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始

▼日中戦争開始、欧洲の第2次大戦(『南京大屠殺』、『野球狂の詩』、『巨人の星』、『いいタマ一本』『六千人の命のビザ』、『母べえ』)
盧溝橋、七七、通州事件、南京虐殺の通説
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件、七七事変が起きて、日中戦争開始。
7月29日、中国の部隊が日本人居留民を抹殺する「通州事件」が起きた。日本軍の南京占領はそのあとで、南京陥落(12月13日)後、人口が増えたにもかかわらず、「終戦」後になってから「南京大虐殺」があったという説が出たらしい。

通州事件を中心に扱った映画は観たことがない。南京に関しては早乙女愛出演で『南京大屠殺』があった。内容を観ると、中国側の反日運動(という武力闘争、ゲリラ戦、テロ行為)が日本軍による反撃を生んだことがわかり、また、日本軍は戦争を終わらせるために鎮圧を考えていた可能性がある。日本と中国が反目しあうことで、中国にいる日本人、または結婚した日本人と中国人、その子供たちが、一番、被害を受けることである。

また、最初から何十万も殺すつもりなら、焼夷弾や原爆を落とすはずで(是非はともかく)、一々、刀や銃の「手作業」であれば、軍が間抜けであり、軍人個人の暴走か、あるいは、抵抗して来そうな中国人を日本軍が処罰していたら、すごい数になっただけというように見える。

大量殺人は、始皇帝もやり、始皇帝の死後、彼を敵視していた側もやったらしい。織田信長も延暦寺で同じようなことをやったし、アメリカ大陸を「開拓」していた白人もやった。これを反省するには全人類が60億總懺悔をせねばならない。

赤穗浪士の吉良邸侵入、虐殺を正当化する論で決まって出てくるのが「喧嘩両成敗」だが、それなら日本のやった戦争でも、相手国が「抗日戦争」をした罪、責任がある。
日本の場合、戦争で日本人が被害に遭った場合、直接の加害者であったアメリカ人、中国人、ロシア人などの責任を考えず、自国、日本政府の責任を問う声が多く出てくる。

もし、中国人がこの点で日本人と同じ国民性を持ったら、日中戦争での中国人の犠牲は自国民を捨てた中国政府のせいということになり、抗日戦争での中国人民への賠償と謝罪を中国政府がすることになる。実際はそうではなく、中国人はとにかく、戦争は相手がいるもので、自国の被害は相手のせいだということをわきまえており、日本人もこの考えは少し、見習うべきであろう。

映画『南京大屠殺』では、日本兵の中に台湾人がおり、中国大陸人を逃がそうとしていた。日本内地の兵士が普段は「台湾は日本の領土だから(台湾人は日本人だ)」と言いながら、その台湾人(台湾系日本人)が死ぬと、途端に「よそ者」扱いする場面があった。日本で中国製品を全否定しようとする意見があるが、それなら、なぜ満洲と台湾を「日本領」にしたのか、そこを考えてみる必要がある。

早乙女愛が演じた日本人女性は、日本兵に対し、自分やむすめが日本人であることを言って、自分たちを守っていたが、本来なら、「相手が日本人だろうと中国人だろうと、人を殺すのはやめてください」と言うべきであった。

2008年3月、チベットでの死傷者の数は誰が發表するかで異なる。1937年の南京での犠牲者の数に諸説あるのも当然で、そもそも、裁判でも被告と原告で事件に関する見解が異なる。歴史観とはそういうものだ。
 
補足
『南京大屠殺』で早乙女愛が演じた日本人女性は周りがシナ人だと日本人であることを隠す必要があったが、日本軍がくると日本人であることを言わないと逆に危険だった。
2012年秋の中国での反日暴動では、日本車に乗っている人は自分が中国人であることを国旗で証明しないといけなくなっていた。こういうシナ人の暴力的な国民性を考えると、日本軍が1937年当時、シナによる反日運動を警戒したとしても不思議はない。
中国人(シナ人)の暴力性がメディアで連日報道されると、多くの日本人は(特にインターネットで)中国を「シナ」「支那」と表現するだろう。「支那」が中国への蔑称であるということは中国を侮蔑する人は「支那」を使うべきだという意味になるからだ。

第2次大戦と野球、真珠湾攻撃前後から、すでにストライクは「いいタマ」?
1937年(昭和12年)、東京巨人軍でヴィクトル・スタルヒン
(Viktor Starukhin・Victor Starffin)がエースになっていた。
このとき、まだ17歳(推定)だった星一徹(1920~1978)がラヂオの野球中継を聴いて、川上を応援していた(『巨人の星』)。

1938年(昭和13年)、野比のび太の父親、のび助はこの年に生まれた可能性がある。「地下鉄をつくっちゃえ」では、のび助が昭和49年(1974年)の12月25日で36歳であったことが定期券から確認でき、36歳の誕生日が年明け以前(年末)なら1937年生まれで、年明け以降だったとすると、1938年生まれである。

『野球狂の詩』の「鉄五郎のバラード」で、岩田鉄五郎がこの時期を回想している。
原作では昭和13年(1938年)、当時18歳の岩田鉄五郎は帝京中の花形投手。甲子園で優勝。審判は「いいタマ、打者ダメ、これにて試合完了」と言っていた。
アニメでは昭和15年(1940年)が舞台。
画面には縱書きで























という文字が出て、やはり、審判が「いいタマ、打者ダメ、これにて試合終了」のようなことばを言っていた。

戦時中、英語から入った外来語が「敵性語」とされたのは有名だが、真珠湾攻撃で日本がアメリカと戦争を始めたのは1941年で、開戦より前に野球用語が日本語(和漢混合語)になっていたのだろうか。そうだとすれば、日本は戦争前から英語文化を敵視していたことになる。

星一徹が巨人に入団した昭和17年(1942年)は、『巨人の星』での川上哲治の台詞によれば、ストライクが「よし」、ボール(悪球)が「だめ」と言い換えられた時代だった。これは真珠湾攻撃の翌年であり、一応、英国と米国は敵であった。しかし、開戦の翌年にそうなったとは敵対の度合いが強かったのか。日本は日清、日中戦争でも日本語の中の漢語を和語にしようとはしなかった。

日露戦争のときらしいが、『皇國興廢在此一戰』などは完全にシナ語であり、あの乃木希典(のぎまれすけ、1849~1912)もうまい漢詩を書いたらしい。
あるいは、このときの日本人は、西洋を敵視するかしないかとは関係なく、純粋に日本語(和製漢語)に譯していたか。
中沢啓治の『いいタマ一本』でも戦時中の野球ファンの受難が描かれていた。

1939年(昭和14年)、『はだしのゲン』の作者、つまり、中岡元のモデルである中沢啓二(←*中澤~)が生まれている。この年、ヨーロッパにおける第2次世界大戦が始まった。
アジア大陸では「ノモンハン事件」と呼ばれるハルハ川戦争(5月~9月)。関東軍は大敗した。

『野球狂の詩』の「任侠三重殺」によると、昭和15年4月、岩田鉄五郎が山川中等学校の伊達源三郎と対戦。

1940年(昭和15年)、当時の日本で採用していた皇紀で2600年とされた。
漫画『紀元2600年のプレイボール』で扱っているのは、この時期のようである。神武天皇が即位したのが紀元前660年という解釋で、それから2600年たったという式典がこの年におこなわれ、「金鵄(きんし)輝く日本の……」という歌まで作られたらしい。この歌は民間で「金鵄上がって15錢……ああ、1億の民は泣く」というような煙草の値上がりを嘆く替え歌にされた。昨今のタクシー禁煙、煙草税で少子化対策、ガソリン値上げを考えると、煙草の値上げは妥当で、遠い昔のこととは想えない。

この1940年は東京オリンピックが開催される予定だったが、日中戦争により、内外から中止を求める声が出て、実現しなかった。代わりの開催地はヘルシンキだったが、これも第2次大戦で中止となった。

東京五輪は1964年(昭和39年)に実現する。ちなみに、孫基禎が金メダルを獲った1936年のベルリン五輪も、1916年開催の予定が第1次大戦で中止になっていたらしい。

六千人の命のビザ
この年、杉原千畝(すぎはらちうね、1900~1986)が「六千人の命のビザ」發給。『日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ』として放送された。21世紀になって、日本は「法を遵守する」という名目でクルド人難民を強制退去させた。見方を変えれば、憲法でも国旗・国歌法でもルールを認めない人、守らない人はいつの世にもいるわけで、食べ物の安全基準や銃の規制、個人情報、駐車違反、飲酒運轉にも言えることである。

ミュージカル『SEMPO』もこの杉原千畝を描いている。

この時期を扱った作品は『シンドラーのリスト』『カサブランカ』『プライベート・ライアン』『史上最大の作戦』『コンバット』など、多数。

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T-CupBlog>2008年2/28(日中戦争~「終戦」)

GooBlog>/平成20年如月/

関連語句
1937 日中戦争 1939 第2次 1941 真珠湾

参照
Y!Blog
日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始
2008/9/14(日) 午後 6:11 

第2次大戦と野球(『巨人の星』『野球狂の詩』『いいタマ一本』など、「ストライク」→「いいタマ」はいつの時代か)
2008/9/14(日) 午後 6:15

『紀元2600年のプレイボール』『六千人の命のビザ』【作品】
2008/9/14(日) 午後 6:16

漢字論原点回帰II>Y!Blog>
「藝」の異体字

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/<teacup copy済み>日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

/昭和の始まり、満洲事変(『オタスケマン』『二十四の瞳』『蒼天の拳』) | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

/第2次大戦と野球(『巨人の星』『野球狂の詩』『いいタマ一本』など、「ストライク」→「いいタマ」は | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

/『紀元2600年のプレイボール』『六千人の命のビザ』【作品】 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

/<teacup copy済み>太平洋戦争 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

/『ガラスのうさぎ』『ひめゆりの塔』(東京大空襲と沖縄戦)【作品】 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

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