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『水戸黄門』は守るべき文化か?

春日太一氏は『水戸黄門』がマンネリ化し対象を高齢者に特化して一時的に人気が出たもののそれが終了を招いたと言っている。
若者向けにシフトして「失敗」したことになっているが、高齢者向けを続けていてもパナソニックの赤字が増えるだけだっただろう。
春日太一氏は時代劇のマンネリ化を批判しながら、一方でテレビの連続枠でないと若手俳優や撮影所のスタッフが育たないからスペシャル枠移行にも批判的だった。
しかし連続枠に残したままでマンネリ脱却、若手育成ができたか疑問だ。
むしろマンネリ打破、若手俳優起用のためのスペシャル枠以降であろう。

春日太一氏の論は「時代劇の連続枠でのマンネリ化・高齢者向けはダメ」「しかしマンネリ打破・若者志向のスペシャル枠移行もダメ」として、批判してばかりで、どうすべきか代案がない。
春日太一氏が時代劇のスペシャル枠移行を批判するのは「京都の撮影所の仕事がなくなる」という個人的感傷によるものだが、京都の撮影所など潰れるなら潰れればいいのだ。
新しい時代劇は水戸や日光、鎌倉、東京で撮影ができればそれでいい。

さて『水戸黄門』の終了を理由に逸見稔没後のスタッフや出演者(中尾チーフ、石坂浩二、里見浩太朗)を批判する人たちは、「『水戸黄門』は日本人が守るべき文化だ」という頭で考えており、「それなのに中尾らが『民放最後の連続時代劇』(2011年の時点)を潰した」ということで怒っているのだろう。しかし『水戸黄門』を守る義務は日本人にはない。
終わるなら終わればいい。

春日太一氏も「よくぞここまで持ちこたえた」としている。
るが一方で春日太一氏は「『水戸黄門』終了が世の中にマイナスの影響を与えた」としているが、その理由は「京都の撮影所の仕事がなくなる」というだけの話。前述のとおり、京都の撮影所など市場原理主義の中で潰れれば潰れればいい。
時代劇で食っていけない人は別の仕事を探せばいい話だ。

では時代劇関係者が『水戸黄門』を守るならどの時点までのスタイルを守るべきか。
逆に『水戸黄門』がダメになったのは逸見の時代か中尾の時代か。

逸見稔の代でダメになったのなら、映画の時代か、少なくともマンネリ化する前の東野黄門初期に戻せばいい。
中尾チーフの代でダメになったのなら、逸見の時代に戻せばいいはず。

実は石坂・里見黄門の時もスタッフは東野黄門初期の再現を狙っていたようだが多くの視聴者はそれに気付いたかどうか疑問。
また、里見浩太朗は石坂黄門を批判し、自分の代で逸見存命時の水戸黄門に戻したつもりだったようだが、それも受け入れられなかったようだ

逸見の時代では『水戸黄門』の1時間枠になってマンネリ化し、印籠が、続いて入浴シーンが定番化した。これは月形龍之介の時代にはなかったことだ。月形黄門はテレビドラマにもなったようだがメインは映画であった。
一方、月形龍之介の時代から逸見存命時の東野~西村~佐野黄門まで守られた原則は「光圀を脇役(西村黄門までは脇役かつ悪役)俳優が演じ、助三郎を主役級が演じる」ということだ。石坂・里見黄門では光圀役に主役級が起用されて原則が崩れた。

從って『水戸黄門』の「高齢者への特化」を排除した上でこれを存続するには「印籠、入浴のマンネリを排除」または「連続枠から撤退し映画やスペシャル枠に移行」した上で「光圀役を脇役、助三郎を主役級が演じる」ということだ。

例えば、もし佐野黄門が終わった時点で『水戸黄門』が連続枠から撤退し、ナショナル劇場が全て現代ドラマになり、『水戸黄門』が年に1度のスペシャル枠になっていたらどうだったか。それで光圀役が笹野高史で助三郎役が東山紀之あたりだったら、『水戸黄門』は存続しただろう。
おそらく笹野高史は里見浩太朗の後の水戸黄門役として候補に挙がったかも知れないが、もし打診を受けても本作が連続時代劇である限り断っただろう。もし『水戸黄門』がスペシャル枠に映っていればこの配役が実現したはず。
スタッフが助三郎に主役級を起用できなかった理由として、春日氏も「有名な若手を擁する事務所が俳優を長い間、京都に拘束されることを嫌った」ことを理由に挙げていた。
だったら京都での撮影をやめればいい。あるいは連続枠でなくスペシャル枠であれば京都での撮影でも主役級を起用できた。

要するに21世紀の『水戸黄門』は例えば「連続枠でなく年に1度のスペシャル枠で、笹野高史のような名脇役が黄門役で、東山紀之のような『若手』が助三郎役」なら存続した。これで撮影所が京都でなく東日本だったらベストである。

もし佐野浅夫降板以降の『水戸黄門』が「水戸光圀:笹野高史、佐々木助三郎:東山紀之、撮影所は関東で年1回の2時間SP」であれば存続した。それが「水戸光圀:石坂浩二、里見浩太朗」で相変わらず連続枠で京都での撮影だから終わった…それでも10年続いたからやはり「よく持ちこたえた」と見るべきだろう。ただ『水戸黄門』について部外者が「スタッフが続けるべき番組を終わらせた」と考えるのは安易である。『水戸黄門』などたかが一つの番組に過ぎない。終わったからといって社会に何の悪影響もない。水戸や京都が騒いだのは自己責任、因果応報である。

『水戸黄門』が民放で唯一の連続時代劇になった時点でこれが終わる兆候は見えていた。
ならば水戸も京都もその時点から「水戸黄門に頼らない策」を考えておくべきだった。

TBSとパナソニックにとって『水戸黄門』はとっくの昔から「存在価値0」だったのだ。

「なぜ時代劇は滅びるのか」にある「水戸黄門」論で注目したのは実質的な主人公が助三郎という配役面の問題と、松下電器にとって主な顧客が30~40代で、高齢者はお呼びでないという点。終了は当然で遅きに失した。京都の撮影所が困る云々は春日太一氏個人の感傷。
0:57 - 2014年11月24日

春日太一氏は逸見稔没後のナショナル劇場のスタッフ(特に中尾チーフ)を「『水戸黄門』を延命させた功労者」と見ているのか、「『水戸黄門』を終わらせた戦犯」と見ているのか、「なぜ時代劇は滅びるのか」を読む限りではページによってどちらにも解釋できる。
1:13 - 2014年11月24日

佐野浅夫降板後の石坂・里見黄門が「失敗」ならどうすべきだったか。例えば光圀役が笹野高史、助三郎役が東山紀之か木村拓哉か堺雅人、撮影場所が京都でなく東京、水戸、日光、鎌倉など関東圏、連続枠でなく年に1度のスペシャルであれば水戸黄門は存続できただろう。
11:07 - 2014年11月27日

水戸黄門の終了を批判する人は水戸黄門をもっと続けるべき「文化」だと思っていたのだろうが、水戸黄門は一つの「番組」にすぎないわけで、企業の判断で終わらせるのは当然である。
11:12 - 2014年11月27日

「水戸黄門」は里見・原田・合田のメンバで、博多座公演で一時、舞台で復活したし、テレビシリーズとは「配役」が違うようだが水戸黄門漫遊一座による活動で存続している。これは撮影所の制約や民放テレビ局の連続枠としての縛りがなくなった結果である。
11:34 - 2014年11月27日

@kyojitsurekishi
水戸黄門漫遊記はもともと講談であった。映画は1910年の尾上松之助主演の作品から始まったようで、テレビ時代に移行してから2011年に里見浩太朗主演の水戸黄門が終わり、水戸黄門の映像化は101年の歴史に幕を閉じた。今後は講談と芝居で存続するだろう。
11:44 - 2014年11月27日

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