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『江~姫たちの戦国~』第42話「大坂冬の陣」

もし家康または淀が大坂夏の陣の前に他界していたら
『江~姫たちの戦国~』によると秀忠と秀頼は歩み寄りを考えていたが、家康と淀の対立が
豊臣を滅ぼした。

家康は冬の陣で和睦を考えていた。
秀頼はそれを聴いて、秀頼も和議を考えたが淀が和議を拒否。
淀は「戦が終わるのは家康が死ぬとき」。淀が和平を遠ざけた。

もし、家康が夏の陣の前に倒れていたら、淀と秀頼は関白の家として徳川将軍家を支え、豊臣と徳川が並び立っていただろう。

もし、淀が夏の陣の前に他界していたら、秀頼と長とする豊臣は一大名として江戸時代を生き延びただろう。

大野治長が秀頼出陣を願い出たが淀は拒否。
代わりに淀が鎧を着て豊臣軍を鼓舞。

確かに秀頼は大事な後杉だが、もし秀次、秀勝が生きていたらこの義兄(從兄)が出陣した。豊臣秀吉が秀勝を朝鮮に送り、秀次を切腹させたのは失敗であった。

相変わらずお福が豊臣を憎む台詞を吐き、江は「そなた…」と言うだけ。
ここで江は自分の父・浅井長政、母・市、養父・柴田勝家と伯父・信長がどういう運命になったかお福に言うべきであった。

本多正信(演:草刈正雄)が真田幸村について話している。

豊臣から追放された片桐且元(演:三田村邦彦)が家康に淀の居場所を教えてしまい、家康は大砲で攻める。

秀忠と正信が大坂城を訪れ淀と秀頼に城を出るよう勧めるが淀は拒否。
秀忠が秀頼とさしで話し合った。
秀頼は城が壊され、堀が埋められたのを観て考えが変わったらしい。徳川が憎くなって城を出る気がなくなったとのこと。

秀頼は秀忠に「これからは敵同士」。
しかしこれも家康の望んだことで、秀頼が徳川を憎むよう、家康は工作したのではないか。そのために砲撃と堀埋めではないか。

戻る秀忠が真田幸村と対面。緊迫の瞬間。幸村が「戦は戦場でつかまつりましょう」。

江戸に戻った秀忠が江に土下座して謝罪。

来週は「淀、散る」。
結果として浅井長政の長女・茶々が父の仇・豊臣の家を滅ぼした。

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『江~姫たちの戦国~』第42話(第42回)「大坂冬の陣」
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