令和2年BLOG
2020/4/22 21:39 「『長七郎江戸日記』再放送」
1623元和09 徳川家光が将軍に
1624寛永01
1625__02
1626__03
1627__04
1628__05
1629__06
1630__07
1631__08
1632__09
1633寛永10
1634年1月5日(寛永10年12月6日)、徳川忠長没
1634寛永11
1635__12
1636__13
1637__14 島原の乱
1638__15
1639__16
1640__17
1641__18
1642__19
1643__20
1644正保01
1645__02
1646__03
1647__04
1648慶安01 慶安時代
1649__02
1650__03
1651慶安04 家光没。家綱が将軍に。慶安の変(由井正雪の乱)
1652承応01
1653__02
1654__03
1655明暦01
1656__02
1657__03
1658万治01
1659__02
1660__03
1661寛文01
1662__02
1663__03
1664__04
1665__05
1666__06
1667__07
1668__08
1669__09
1670__10
1671__11
1672__12
1673延宝01
1674__02
1675__03
1676__04
1677__05
1678__06
1679__07
1680__08 家綱没。綱吉が将軍に就任
長七郎江戸日記OP
〔@kyojitsurekishi〕
〔#bs日テレ〕
「長七郎江戸日記」
第43話「宅兵衛の子守唄」
ラストシーンで女性が墓参り。
墓には「寛永丙子年」と書かれてあったように見えた。
これに該当するのは西暦1636年(寛永13年)。明正天皇、将軍家光の時代。
〔午後7:00 · 2019年12月3日〕
最近、BS(衛星放送)で再放送されている時代劇の時代設定を確認。
「長七郎江戸日記」は4代将軍・家光から5代将軍・家綱までの時代。1651年の由井正雪の乱(慶安の変)の前後。長七郎は家光の甥で、家綱と從兄弟。
なお、松平右近は11代将軍・徳川家斉の実弟という設定。
〔午後11:18 · 2020年3月19日〕
家綱が将軍だったのは1651年から1680年まで。
家斉が将軍だったのは1787年(天明7年)から1837年(天保8年)まで。
長七郎(家光の甥)と右近(家斉の弟)では時代が100年以上離れている。
〔午後11:22 · 2020年3月19日〕
📺#BS日テレ📺
📺#長七郎江戸日記2📺
夕方6時台に再放送。
冒頭のナレーションで劇中の時代が4代将軍・徳川家綱の時代になっていたことが分かる。つまり由井正雪の乱(1651年、慶安4年)の後である。
〔午後6:36 · 2020年4月27日〕
〔#長七郎江戸日記〕
三宅宅兵衛(演:下川辰平)が「えい、控えぃ! これにおわすは畏れ多くも上様の『甥御様』、松平長七郎長頼君なるぞ!」と言ったのは劇中の時代が家光の治世の時。「畏れ多くも上様の『お血筋』に あらせられる~」という台詞になったのは、時代設定が家綱の時代に変わってからだろう
〔午後6:39 · 2020年4月27日〕
/tweet(1)//tweet(2)//TWEET(3)//
前後一覧
〔令和2年(西暦2020年)4月〕
〔令和4年7月〕
関連語句
/「長七郎」の検索結果 - gooブログはじめました!/〔長七郎〕
〔@kyojitsurekishi 長七郎〕〔俺の名前は 長七郎〕(twitter)
AmebaBlog>〔BSで再放送されている時代劇の時代設定を確認〕
2020-04-16 03:53:59