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毎年総理が変わる日本は江戸時代よりひどい

日本では議会制民主主義は機能しておらず、大臣など毎年のように交代しており、単なる飾りである。
拉致担当大臣も年中変わっており、防衛大臣にもほとんど畑違いのが就任しており、テレビで野党の石破氏が批判していた。

以前、雑誌『AERA』で「誰が首相にふさわしいか」という調査で誰かが「クマさんのぬいぐるみでも(首相の椅子に)置いておけばいい」という意見が紹介されていた。

江戸時代の将軍と比べてみる。
江戸時代の将軍の中で、在職期間が短かったのは第15代将軍・慶喜の1年、その次は初代将軍・家康の2年2箇月。
『角川第二版・日本史辞典』が参考になる。

6代・家宣は3年半(1709年就任、1712年没)。
7代・家継も3年(1713年就任、1716年没)。
今の日本の首相の在職期間はその3年にも満たない。
幕末に若くして他界した家定も5年弱(4年9箇月)、家茂も8年弱(7年8箇月)である。

こうなると大臣などいるだけ邪魔であろう。
外交は天皇がやっているようなもので、諸外国も小泉純一郎のあとの日本の総理大臣など覚えていられない。政治は官僚が受け継いでおり、政治主導などどこにもない。

2011年にTBSの『水戸黄門』がシリーズ終了することとなった。
今の日本は将軍がころころ変わる幕府、藩主がころころ変わる藩、代官がころころ変わる代官所のようなものだ。
ドラマの『水戸黄門』で徳川光圀がやっていることは各藩で不正が起きるたびに、その首謀者である代官などを処罰する(実際は光圀が藩主に報告するだけ)ことだが、假に「悪代官」が処罰されても、人間が変わるだけで不正は何度も繰り返される。
今の日本は毎年「水戸老公一向」が訪れて、毎年「悪代官」が交代する某藩のようなものだ。

権力者の首をすげかえたところで、根本的な改革にはならない。
『水戸黄門』終焉を機に、我々は「傑出した権力者が現れて短期で改革してくれることへの期待」を捨てるべきであろう。

旧ソ連ではブレジネフ(Brezhnev)からゴルバチョフ(Gorbachev)までの間、書記長(General Secretary)が何度も交代したことがある。
ゴルバチョフは書記長から大統領(President)になった。

ブレジネフとゴルバチョフの間の短期の書記長たちを覚えている人は少ないだろう。

江戸時代の綱吉と吉宗の間の将軍2名(家宣、家継)は印象が薄いだろう。
もっとも短期だった家康と慶喜が有名で、長期政権だった家斉がそれほど「有名」とも思えない(家斉の時代を扱った時代劇は多いが、家斉が主人公であう時代劇は見当たらない)のを考えると、知名度は権力の座にいた期間と必ずしも比例しないのかも知れない。

それにしても日本の昨今の首相交代は醜態の極みである。

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江戸時代の将軍の在職期間比較
1年に約1回ずつ首相が交代
マスコミは「責任論」をあおって、首相がもし交代したら「政治空白が問題」と言いだす、これぞマッチポンプ
徳川家歴代将軍登場作品

漢字論原点回帰>「事務総長」と「書記長」と「幹事長」

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2011年9/2 9/2~6 9/5 9/6
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