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▲大黒屋光太夫、寛政の改革、アントワネット、エカテリーナの時代



▼大黒屋光太夫、寛政の改革、アントワネット、エカテリーナの時代(『おろしや国酔夢譚』、『鬼平犯科帳』、『大江戸捜査網』、『マリー・アントワネット』、『ベルサイユのばら』、『女帝エカテリーナ』)
1782年、『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫一行が航海中に難破し、ロシア極東部の島に漂着。
1782年から1787年まで、日本で天明の飢饉があり、餓死者、病死者は全国で90万、各地で一揆や打ちこわしが起こったらしい。
1783年、イギリスがアメリカの独立を承認。これは『ベルサイユのばら』で出てくる。
1785年、高橋景保(たかはしかげやす)誕生。
1786年には家治(1737~1760着任~1786)が没し、翌年、家斉(1773~
1787着任~1837退任~1841)が11代将軍となった。将軍家斉の時代、弟の松平右近が偽名を名乗って医者をやっていた。家斉の将軍在籍は長いので時代が特定しにくい。

そして、松平定信(1759~1829)が寛政の改革を開始。
『大江戸捜査網』によると、松平定信は間接的に隠密同心を組織し、江戸の犯罪者を処罰していた模様。
火付盗賊改方の長官となった長谷川平蔵も江戸の治安を守っていた。
1787年から1795年まで、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵が火付盗賊改方長官を勤めた。

『必殺仕事人V』の「主水、源氏と平家に泣かされる」によると主水の家では、せんが市場で中村家の系図を見つけ、中村家は桓武平家の子孫ということになっていた。南町奉行所では壇ノ浦の合戦から600年を記念して田中様が引き出物を同心たちに配っていた。それを知らない主水が奉行所に行って平家の子孫らしいことを話したところ、引き出物はもらえなくなった。ここでは徳川家が源氏の子孫ということになっていた。
壇ノ浦から600年なので時代は1785年である。
なお、話の後半ではせんが本物の中村家の系図を見つけて持ってきて、今度は中村家は清和源氏の子孫になっていた。
なお、初めの系図でも次の系図でも、中村家では「享保参年」から当主が「中村主水」を名乗るようになっていて、劇中では「中村主水」は3代目までであった。

ここで主水の生まれた年を推定。
まず主水の年齢が、この作品が出た1985年における藤田まことの年齢と同じと假定すると、藤田まことは1933年生まれで1985年で52歳なので、
1785年で52歳とすると1733年で0歳。年齢が数え年なら1734年生まれ。
一方、『新必殺仕事人』で中村主水が43歳で、1981年の放送当時で藤田まことが48歳であったことから、主水の年齢が主水を演じた当時の藤田まことの年齢より5歳下とすると、『仕事人V』の主水の年齢は47歳で主水は1738年生まれ。
いずれも吉宗の享保の改革の時代に生まれたことになる。

2013年10月17日(木)
マリー・アントワネットは「民衆に食べるパンもない」と聞いて「パンがなければケーキを食べればいい」と言ったとされる。柳田理科雄は甘い物が苦手のようで主食より先にケーキを食べるのは嫌だと反論していた。前菜なしでいきなりデザートというのも確かに厳しいか。
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関連語句
フランス革命 寛政の改革 アントワネット 大黒屋光太夫

参照
徳川吉宗と大岡忠相、平賀源内
9代家重と大岡忠光、平賀源内
大黒屋光太夫、寛政の改革、アントワネット、エカテリーナの時代
フランス革命は正しかったか
『おろしや国酔夢譚』『ラ・セーヌの星』『ダントン』
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