ここに23年前の水がある。ビール瓶に詰められた水。震災が起きて少し経ってから配給された飲料水の中にあったものだ。
あの時、自分の居住エリアから脱出するための唯一の道が寸断され、ライフラインもすべて断たれた状態で、どうやって飲料水を確保していたのか。マンション近くに来た給水車は今思えばどこから来たのだろう。とにかく我が家にはポリタンクもなく、一番大きなボールに水をもらい、それを階段で高層階までこぼれないように注意深く運んだ。2往復がやっとだったと思う。
しばらくしてから道が修復され、ペットボトルの飲料水も配布されるようになり、その中に入っていた一つがこのビール会社の水だった。飲み水は貴重だからすぐにでも飲みたかったはずなのに、なぜか、飲めなかった。取り急ぎビール瓶の中に水を入れて出荷してくれたビール会社の人たちの気持ちを思うと、ひじょうにありがたく、もちろん深ーく感謝した。と同時に、そのこと自体が異常なんだと思い、これはいつか誰かに伝えなきゃ!という気持ちがはたらいて、最後の最後にどうしても困ったら飲もう、そう思っているうちに時間が経ってしまった。海路から海上自衛隊の「しらせ」による大量の給水があったり、酒造会社に行けば自由に水をいただけるようになったり、給水環境が急に改善したこともあり、ビール瓶の水にはついに手をつけずに残すことができた。
当時はブログやSNSもなく、伝える手段がなかったこともあり、いつか誰かにこのことを言おうと思いながらもずっと言いそびれていた。そのうちブログに書くチャンスができたのに今まで書けなかった。もっともっと困っていた人のことを思うと後ろめたくてなかなか言い出せなかった。23年前、飲んで欲しいと思ってこの水を送り出してくれた人のことを思うとますますカミングアウトできないなと思うようになってしまった。
でも、もういいよね。
ビール瓶の中には、ただの水じゃなく、その時のみんなの思いとあの時のもろもろの思い出が詰まっている。2018年1月16日に久々に出してきて撮影した。阪神淡路大震災と震災関連で亡くなられた人々のことを想い、この水を捧げた。
今日、1月17日は雨。黙祷。
今年も1月17日を祈りの日にしよう。
2007年1月17日のブログ
あの時、自分の居住エリアから脱出するための唯一の道が寸断され、ライフラインもすべて断たれた状態で、どうやって飲料水を確保していたのか。マンション近くに来た給水車は今思えばどこから来たのだろう。とにかく我が家にはポリタンクもなく、一番大きなボールに水をもらい、それを階段で高層階までこぼれないように注意深く運んだ。2往復がやっとだったと思う。
しばらくしてから道が修復され、ペットボトルの飲料水も配布されるようになり、その中に入っていた一つがこのビール会社の水だった。飲み水は貴重だからすぐにでも飲みたかったはずなのに、なぜか、飲めなかった。取り急ぎビール瓶の中に水を入れて出荷してくれたビール会社の人たちの気持ちを思うと、ひじょうにありがたく、もちろん深ーく感謝した。と同時に、そのこと自体が異常なんだと思い、これはいつか誰かに伝えなきゃ!という気持ちがはたらいて、最後の最後にどうしても困ったら飲もう、そう思っているうちに時間が経ってしまった。海路から海上自衛隊の「しらせ」による大量の給水があったり、酒造会社に行けば自由に水をいただけるようになったり、給水環境が急に改善したこともあり、ビール瓶の水にはついに手をつけずに残すことができた。
当時はブログやSNSもなく、伝える手段がなかったこともあり、いつか誰かにこのことを言おうと思いながらもずっと言いそびれていた。そのうちブログに書くチャンスができたのに今まで書けなかった。もっともっと困っていた人のことを思うと後ろめたくてなかなか言い出せなかった。23年前、飲んで欲しいと思ってこの水を送り出してくれた人のことを思うとますますカミングアウトできないなと思うようになってしまった。
でも、もういいよね。
ビール瓶の中には、ただの水じゃなく、その時のみんなの思いとあの時のもろもろの思い出が詰まっている。2018年1月16日に久々に出してきて撮影した。阪神淡路大震災と震災関連で亡くなられた人々のことを想い、この水を捧げた。
今日、1月17日は雨。黙祷。
今年も1月17日を祈りの日にしよう。
2007年1月17日のブログ