●鳥の目、虫の目
多くの場面で語られる「目」というキーワード。
そのモチーフがどこから来ているのか私には全くわからない。
一般的に「鳥の目」「虫の目」といえば、物事の見方の違いを表した言葉。
空を飛ぶ鳥のように真上から見れば広い視点で大局的にとらえられるメリットが
あるし、地をはう虫のように対象に顔を近づければ小さな事もよく見える。
蜷川さんの演出では政治闘争と「目」線とを結びつけていた。
神様、巨人、コビトが三ツ巴で国境を争っている間にヒトが逃亡した時の台詞。
神様「追え!つかまえろ」
コビト「地面からは虫の目玉で。」
巨人「空からは鳥の目玉で。」
ペニスの商人「ならば神よ、あなたはどんな目玉で」
神様「神は盲目だ」
蜷川さんの読み解きをパンフレットの中で高橋洋さんがわかりやすく語っている。
巨人とライト兄弟と刑事を同じ役者がやる。その意味は「上からモノを言う巨人と、
空を飛ぼうとする人間を空から見張っているライト兄弟と、権力の象徴としての刑
事」が一つの存在としてつながっている、ということらしい。
そういえば、この作品に出てくるライト兄弟はかなりイジワルで怖かった。
この3つの役はどれも鳥の目を持って真上から物事を見ている。
ここまではパンフレットにヒントがあった。
では、虫の目はどうなるか。
地面にはいつくばってシラミつぶしに歩き回る刑事とか、公安の捜査が頭に浮かぶ。
鳥の目も虫の目もこの場合、権力とか体制側と結びついた監視の目という扱いだ。
また、虫の目は複眼で、多数の小さな個眼が束状に集まったもの、とパンフレットに
説明がある。でも、これが具体的にどうしても芝居と結びつかない。
複眼はいろんな角度から見られるメリットもあるが、虫の目を見て「バラバラだ」と
か「じゃりじゃりに割れている」いう表現が耳に残った。
政治闘争で同じ方向を目指しているようにみえる集団も、実はセクトと呼ばれる派閥
に細かく分かれて活動していた。これが複眼を意味するのだろうか。
そういえば蜷川さんの演出では、ヘルメットをかぶった過激派グループはコビトと同
じように地面の切り穴から出てくる。地下活動をする彼らの目線が虫と同じという意
味になるのだろうか?(書いていても全くピンとこない。苦笑。)
・・・以上は、目線と立場の関係。
ストーリーのほうから目の表現を考えてみると。
ヒトは「右目に鳥の目玉、左目に虫の目玉」がはめこまれた機械。
いわばどちらも借り物の目だ。
鳥の目玉は巨人と同じで、真上から見下ろす目。
虫の目はコビトと同じで、地面をはう目。
サスケが無断で空を飛んだことで、ライト兄弟がサスケの両目玉をえぐりとろうとす
る。この時たぶん、左の虫の目玉だけが残っていたんだと思う。
このあとサスケは気がついたら包帯だらけで、自分の過去を忘れていた、と自分で語る。
ただ<とねりこ>の棒を握っていたことだけは覚えていた。
本能寺でその後の信長がサスケに渡すもの、それが<グラスファイバー>の棒だった。
神様からもらった<とねりこ>の木が折れてしまって飛べない、とサスケが言うと
信長は答える。
「忘れるな、お前の目玉」。(舞台では、お前の目玉で作った、と言ったように思う)
「そいつがしなるガランス、水晶体だ。」
この時点でサスケの目玉が鳥の目玉、虫の目玉だったのが、いつのまにか水晶体
に変わっていることが判明。鳥の目玉、虫の目玉よりも発達した眼球、つまり、
ヒトの目玉になっていた。いつ、どこで進化したのか?
かくまってくれたワル!、キュー、レ?のシーンで、ちょっとニオウ台詞がある。
その前に。
彼女たちは傷ついた戦士を癒すワルキューレ。そして、虫けらの目玉を持っていた。
虫の目玉といえばじゃりじゃりに割れている。
複眼の機能なんかより、私にはこの「じゃりじゃりに割れている」という語感のほうが
気になった。割れるものといえば、ガラス。
じゃりじゃりに割れているのは、ガラスのことではないだろうか?
元に戻ってワル!、キュー、レ?たちの台詞。
「森には狼に育てられた子供がいるように、
雪山にはガラスに育てられた子供がいる。」
「その子、誰の手にも渡すものか」「私たちの手で飛ばせてやる」
「富士の火口は巨大なるつぼだ」「白夜の富士は巨大なガラス工場だ」
(この光景、真俯瞰から鳥の目で見てみたい。)
7万度にたぎる溶鉱炉から生まれたのは、ポールと水晶体の目玉。(と勝手に推測。)
ヒトの目もポールも、虫の目を溶かしてガラス工場で再生されたのかもしれない。
借り物ではなくなった目と、借り物ではない道具。
上から威圧的にモノを見ることも、小さなことを拡大して見ることもない、ピント
調節機能のついた柔軟性のある、ヒトの目玉。
サスケは自分の目玉で、とねりこの棒よりもよくしなるグラスファイバーのポールを
友として、富士山の頂上を飛び越える。
すごいこじつけ。としても、ガラスって何? という疑問が残る。
今回の舞台では省略されていたが、ピエトロ大聖堂の大時計の中に飾られていたガラ
ンス細工の<影男>、それがその後の信長だ。
「大時計の天使生活が長いから」とサスケにいう台詞はこれのことを言っている。
彼は自分のことをこう語る。(←同じく舞台では省略されていた。)
「オレは戦う心を持ったガランス、ガラス繊維だ。別名、グラスファイバー。」
へぇー! グラスファイバーって、戦う心を持ってるんだ。
(スポーツ用品のキャッチコピーみたいな台詞だけど。)
ここで佐野元春の歌の「ガラスのジェネレーション」という言葉が頭をかすめた。
普通のガラスの心は傷つきやすいが、ガラスのジェネレーションだって戦う心を持
つことはできる。でも、その方法は単純にまともにぶつかり刃向かって砕けるので
はなく、しなやかでなくてはならない。
その後の信長はサスケに夢を託した。自分が犠牲となって。
信長はしなるグラスファイバーのポールであり、命綱をたって永久と氷河の裂け目
にぶら下がり続ける時計の天使でもあるわけで。
「しなれ!ギリギリのギリまで」とサスケが思いをこめればこめるほど、その支え
となる信長のことを強烈に思わずにはいられない。
ネット上のこの記事を見て、ほおーっ、と思った。とねりこは深い。
実際にここ数十年で木製のスポーツ用具はグラスファイバーへと進化した。テニスラ
ケットには以前は本当にとねりこの仲間の木が使われていたそうだ。
※<ニーベルングの指環>から
ジークフリートが父の形見である、折れた名刀ノートゥングを溶鉱炉で溶かして鍛え
直すというエピソードがある。
自分を育ててくれた鍛冶屋のミーメができなかった刀の復元を自分で成し遂げ、竜に
姿を変えた巨人ファーフナーをその刀で殺し指環を手に入れる。
「白夜の女騎士」で、折れたとねりこの棒がグラスファイバーのポールへと変わる部
分のモチーフがここだと思われる。
おぼえがきはまた次回、時間ができた時に。(希望的観測)
「白夜の女騎士」 □観劇メモ(このブログ内の関連記事)
「白夜の女騎士」自分のためのおぼえがき(1)(このブログ内の関連記事)
多くの場面で語られる「目」というキーワード。
そのモチーフがどこから来ているのか私には全くわからない。
一般的に「鳥の目」「虫の目」といえば、物事の見方の違いを表した言葉。
空を飛ぶ鳥のように真上から見れば広い視点で大局的にとらえられるメリットが
あるし、地をはう虫のように対象に顔を近づければ小さな事もよく見える。
蜷川さんの演出では政治闘争と「目」線とを結びつけていた。
神様、巨人、コビトが三ツ巴で国境を争っている間にヒトが逃亡した時の台詞。
神様「追え!つかまえろ」
コビト「地面からは虫の目玉で。」
巨人「空からは鳥の目玉で。」
ペニスの商人「ならば神よ、あなたはどんな目玉で」
神様「神は盲目だ」
蜷川さんの読み解きをパンフレットの中で高橋洋さんがわかりやすく語っている。
巨人とライト兄弟と刑事を同じ役者がやる。その意味は「上からモノを言う巨人と、
空を飛ぼうとする人間を空から見張っているライト兄弟と、権力の象徴としての刑
事」が一つの存在としてつながっている、ということらしい。
そういえば、この作品に出てくるライト兄弟はかなりイジワルで怖かった。
この3つの役はどれも鳥の目を持って真上から物事を見ている。
ここまではパンフレットにヒントがあった。
では、虫の目はどうなるか。
地面にはいつくばってシラミつぶしに歩き回る刑事とか、公安の捜査が頭に浮かぶ。
鳥の目も虫の目もこの場合、権力とか体制側と結びついた監視の目という扱いだ。
また、虫の目は複眼で、多数の小さな個眼が束状に集まったもの、とパンフレットに
説明がある。でも、これが具体的にどうしても芝居と結びつかない。
複眼はいろんな角度から見られるメリットもあるが、虫の目を見て「バラバラだ」と
か「じゃりじゃりに割れている」いう表現が耳に残った。
政治闘争で同じ方向を目指しているようにみえる集団も、実はセクトと呼ばれる派閥
に細かく分かれて活動していた。これが複眼を意味するのだろうか。
そういえば蜷川さんの演出では、ヘルメットをかぶった過激派グループはコビトと同
じように地面の切り穴から出てくる。地下活動をする彼らの目線が虫と同じという意
味になるのだろうか?(書いていても全くピンとこない。苦笑。)
・・・以上は、目線と立場の関係。
ストーリーのほうから目の表現を考えてみると。
ヒトは「右目に鳥の目玉、左目に虫の目玉」がはめこまれた機械。
いわばどちらも借り物の目だ。
鳥の目玉は巨人と同じで、真上から見下ろす目。
虫の目はコビトと同じで、地面をはう目。
サスケが無断で空を飛んだことで、ライト兄弟がサスケの両目玉をえぐりとろうとす
る。この時たぶん、左の虫の目玉だけが残っていたんだと思う。
このあとサスケは気がついたら包帯だらけで、自分の過去を忘れていた、と自分で語る。
ただ<とねりこ>の棒を握っていたことだけは覚えていた。
本能寺でその後の信長がサスケに渡すもの、それが<グラスファイバー>の棒だった。
神様からもらった<とねりこ>の木が折れてしまって飛べない、とサスケが言うと
信長は答える。
「忘れるな、お前の目玉」。(舞台では、お前の目玉で作った、と言ったように思う)
「そいつがしなるガランス、水晶体だ。」
この時点でサスケの目玉が鳥の目玉、虫の目玉だったのが、いつのまにか水晶体
に変わっていることが判明。鳥の目玉、虫の目玉よりも発達した眼球、つまり、
ヒトの目玉になっていた。いつ、どこで進化したのか?
かくまってくれたワル!、キュー、レ?のシーンで、ちょっとニオウ台詞がある。
その前に。
彼女たちは傷ついた戦士を癒すワルキューレ。そして、虫けらの目玉を持っていた。
虫の目玉といえばじゃりじゃりに割れている。
複眼の機能なんかより、私にはこの「じゃりじゃりに割れている」という語感のほうが
気になった。割れるものといえば、ガラス。
じゃりじゃりに割れているのは、ガラスのことではないだろうか?
元に戻ってワル!、キュー、レ?たちの台詞。
「森には狼に育てられた子供がいるように、
雪山にはガラスに育てられた子供がいる。」
「その子、誰の手にも渡すものか」「私たちの手で飛ばせてやる」
「富士の火口は巨大なるつぼだ」「白夜の富士は巨大なガラス工場だ」
(この光景、真俯瞰から鳥の目で見てみたい。)
7万度にたぎる溶鉱炉から生まれたのは、ポールと水晶体の目玉。(と勝手に推測。)
ヒトの目もポールも、虫の目を溶かしてガラス工場で再生されたのかもしれない。
借り物ではなくなった目と、借り物ではない道具。
上から威圧的にモノを見ることも、小さなことを拡大して見ることもない、ピント
調節機能のついた柔軟性のある、ヒトの目玉。
サスケは自分の目玉で、とねりこの棒よりもよくしなるグラスファイバーのポールを
友として、富士山の頂上を飛び越える。
すごいこじつけ。としても、ガラスって何? という疑問が残る。
今回の舞台では省略されていたが、ピエトロ大聖堂の大時計の中に飾られていたガラ
ンス細工の<影男>、それがその後の信長だ。
「大時計の天使生活が長いから」とサスケにいう台詞はこれのことを言っている。
彼は自分のことをこう語る。(←同じく舞台では省略されていた。)
「オレは戦う心を持ったガランス、ガラス繊維だ。別名、グラスファイバー。」
へぇー! グラスファイバーって、戦う心を持ってるんだ。
(スポーツ用品のキャッチコピーみたいな台詞だけど。)
ここで佐野元春の歌の「ガラスのジェネレーション」という言葉が頭をかすめた。
普通のガラスの心は傷つきやすいが、ガラスのジェネレーションだって戦う心を持
つことはできる。でも、その方法は単純にまともにぶつかり刃向かって砕けるので
はなく、しなやかでなくてはならない。
その後の信長はサスケに夢を託した。自分が犠牲となって。
信長はしなるグラスファイバーのポールであり、命綱をたって永久と氷河の裂け目
にぶら下がり続ける時計の天使でもあるわけで。
「しなれ!ギリギリのギリまで」とサスケが思いをこめればこめるほど、その支え
となる信長のことを強烈に思わずにはいられない。
ネット上のこの記事を見て、ほおーっ、と思った。とねりこは深い。
実際にここ数十年で木製のスポーツ用具はグラスファイバーへと進化した。テニスラ
ケットには以前は本当にとねりこの仲間の木が使われていたそうだ。
※<ニーベルングの指環>から
ジークフリートが父の形見である、折れた名刀ノートゥングを溶鉱炉で溶かして鍛え
直すというエピソードがある。
自分を育ててくれた鍛冶屋のミーメができなかった刀の復元を自分で成し遂げ、竜に
姿を変えた巨人ファーフナーをその刀で殺し指環を手に入れる。
「白夜の女騎士」で、折れたとねりこの棒がグラスファイバーのポールへと変わる部
分のモチーフがここだと思われる。
おぼえがきはまた次回、時間ができた時に。(希望的観測)
「白夜の女騎士」 □観劇メモ(このブログ内の関連記事)
「白夜の女騎士」自分のためのおぼえがき(1)(このブログ内の関連記事)