先週末、京都嵯峨の清涼寺に行ってきました。
『郭文章』に出てくる夕霧太夫ゆかりのお寺で、毎年11月にはここで「夕霧祭」
が催されているそう。
でも、お墓が見つけられなかったのがザンネン(涙)。
帰宅してから調べ直し、正しい情報をさくらんひめ東文章さまのブログで知りま
した。(ありがとうございました♪)
なんとお墓の場所は、歌舞伎座「三月大歌舞伎」の筋書に書いてあるとのこと。
あったよ、あったよ。しかも写真入りで!
「墓は故郷の京都嵯峨の覚勝院にある」と。あ、やっぱり清涼寺とちゃうやん。
もう一つオマケが・・・。
その筋書に挟んであったのは、京都南座の売店でいただいた井筒八ツ橋本舗の
リーフレット。つまり、自分で保管しておきながらスッカリ忘れていたワケで、
そこには
「京都嵯峨の元地蔵院墓地、現在大覚寺塔頭覚勝院の霊園内に林家の墓地があり
(清涼寺裏)、台石に扇屋としるされ、右傍らの石碑に『遊女夕霧之墓』とある。」
と書いてありました。
ムム。なんで行く前にこれを思い出さなかったんだろ。クヤシー。次回こそは!
ちなみに、お墓は京都以外に大阪市天王寺区の浄国寺にもあるそうです。
代わりに、生家があったとされる嵯峨中院(清涼寺西側の愛宕街道に沿った町並
み)で「夕ぎり大夫遺跡」と書かれた石標を見つけました。
●五台山 清涼寺(嵯峨釈迦堂)
『源氏物語』光源氏のモデルだったとされる源融(みなもとのとおる)の山荘
「棲霞観」があった場所で、融の没後は棲霞寺とされたが、945年に釈迦像が
安置され通称、嵯峨釈迦堂と呼ばれるようになった。境内には源融の墓もある。
その後、チョウ然(ちょうねん)がインド・中国・日本の三国伝来の釈迦如来
立像を持ち帰り、清涼寺とした。釈迦如来立像(国宝)は日本三如来の一つ。
(この日はご開帳のタイミングにお参りしたので、間近で見られました。)
<最寄駅>
JR 嵯峨嵐山駅
<名物>
境内の茶店「大文字屋」の、白味噌だれでいただく「あぶり餅」630円が美味。
●公演情報
9月に京都芸術劇場春秋座で開かれるシンポジウムで「元禄期初代坂田藤十郎
の和事舞台復活」が実験上演され、その演目が『夕霧七年忌』のようです。
研究者と実技者との共同作業で初代坂田藤十郎の幻の舞台を復元するとのこと。
(監修:坂田藤十郎 演出・主演:中村翫雀 舞台音楽監修:藤舎呂船)
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